叫びたい。
諸君はそんなことを思ったことはあるだろうか。
思ったとて思い切り叫んだことのある人間は、そんなに多くはないだろう。いや子どもの頃ならばあるだろうか?
まあだが本当に叫びたくなる瞬間は大人になってからやってくる。
それなのに大人ゆえ叫べない。
叫びを堪え、日々我々は生き抜いている。
あゝ神よ…どうか我輩によき未来を…。幸せな未来を…くれ…。
というわけで本日はクソGIF、叫びをご覧いただこう。
以下がそれだ。
叫んでいるのだこれでも。
その素早さからはまるで、ベロを出してはしまい、出してはしまいのペロペロアクションをしているようにも見えるが、そうではない。叫んでいるのだ。
誰か、ここから助けてくれ、声にならない声がするのだ。
ちなみに、ムンクのように叫ぶことができれば、幸せなのだろうか。いやあれは正気失って叫んでる可能性あるからそうでもないかもしれん…。
とか思って調べてみたら、ムンクは自分の中の負の感情(不安や恐怖絶望といったもん)を描写という行為で吐き出す為、叫びを描いたらしい。描いたらそれは終わったもんとしてスッキリして眠れたんだと。
それに身代わり人形的意味合いがあるのかは不明だが、なるほど、物理的叫びではなくこういった叫び方もあるのかと納得した。
確かに我輩も叫んでこそいないが、ここで色々吐き出しているしな。吐き出すことはいい事なのだ。ため息含め。クソは排出せよである。
あとは歌ったりな。あれも比較的お手軽に試せる叫びだよな。
そんなわけなので野猿の叫びでも歌おうじゃないか。大人も叫んでいいのだ。