Apple、てめえ…我輩のことをバカにしおって…
はじめまして、我輩はボロボロ皇帝。
表題のとおりである。
随分前のこと(我輩が18、9歳ぐらいの時)
ネット上で仲良くなった人物とメールでやり取りをしている中、
何の流れだったかは忘れたが、
MacかWindowsかで喧嘩し、
結果、やり取りが終了したこともあるほどだ。
今考えると両者とも頭がおかしいが、それでも今なお我輩はやはりAppleが嫌いだ。
あの頃まともにMac製品なんて使っていなかったし、そして今に至るまでも、個人的にApple製品を購入して使ったことはない。
ではなぜそんなにも、我輩が(勝手に)Appleを目の敵にしているのか、
今日はそれについて深めに掘り下げていこうと思う。
Appleが見せつける完璧主義と信仰
「ワタクシ共の完璧なシンプルでスタイリッシュ且つ機能性の高いデザインをご覧になって」
「ワタクシ共の完璧なユーザーインターフェースをご覧になって」
「ワタクシ共の完璧な拡張性をご覧になって」
「ワタクシ共の完璧な製品を使用すればストレスフリー、貴方様は何も考えなくてよいのです」
「そう、Appleならね♪」
まあ別にAppleは多分こんなことは言っていない。
(あいぽんならね♪とは言ってる)
だが、我輩には聞こえるのである。
まさしく、思考などせず我々の完璧な製品を使うがいい…
そう聞こえてくるのだ。
そこで、我輩の知るApple製品ユーザーの声を聞いてみよう。
(というか周囲はほぼiPhoneユーザーなので)
「あいぽんしか使えんわ(^p^)」
「あいぽんはいちいちこんな事しなくていい(^p^)」
「あいぽん(^p^)」
こんなところだろうか…(多少誇張しているが大体こんなもんだ)。
このようにApple製品ユーザー、然り、iPhoneユーザーは、
まるで盲信的にAppleに依存しているのである。
(そういやEarPods(or AirPods)しか使えないとかいう人もいたな。Apple製イヤホンは耳に嵌めたら「俺の形以外受け入れられなくしてやるよ」みたいなことにでもなるのか?恐ろしいぜおい…)
確かに、Apple製品は、凄い。
例えばMacOSとWindowsOSで比較してみよう。
Windowsであればメーカーによって動作に個体差がある。例えばタッチパッドの反応がクソみたいに悪かったりだ(他にもプリインソフトがめんどかったり、ソフトウェアや周辺機器との相性によりクソに成り下がったりと色々あるが割愛する)。
それに比べてMacはApple製ハードウェアオンリー、そのハードだけの事を考えそれに合うOS含むソフトウェアをAppleが完璧に開発した結果、個体差というものはまずない。お陰で悩むことなくヌルサクなのだ。同じ例で言えば、トラックパッドという名のタッチパッドが馬鹿みたいに使いやすい。
そしてそれに合う拡張用の製品、周辺機器等の外付のもの、ケーブル類に至るまでを、まるで、
「純正品を使わない裏切り者は地獄行きだ」
と言わんばかりにサードパーティ製を認めない、この頑たる教祖感。
※一応サードパーティ製は存在する。そして非純正品を使った裏切り者への制裁かのように、一定の確率で非純正品を検知し対応不可となることがあるのも事実(ソフトウェアバージョンの関係かは知らん)
※あと他社製のソフトウェアもあるが、単純に少ないのと、StoreにあるそれはAppleの厳しい審査基準を経てAppleが認めた、つまりアップルパイである。
またそれらの純正品は無駄に高い。
これを信者は品質の対価とか言うんだろう、分かっているぞ。
だが、己の目で見定めて買えば安価でも高品質なものはたくさんあるのだ。まあ信仰のもとでは叶わんだろうがな。
とまあ、Appleは全てを自社製のみとして狭めている分、確かに品質は良いのだ。
そう、狭めている分。
まるで、外部を一切排除し、
絶対的Apple!
他所を見る必要など無い!
他を使うなど愚の骨頂!
Appleだけを見るのだ!
この洗脳にも近い、高飛車で一歩間違えば独占的な、
そんなあっぷる教が、我輩は本能的に怖いし嫌いなのだ。
だが我輩がAppleを敵視している理由はこれだけではない。
多くの盲目的信者を抱えたApple、
あっぷる教の力、
すなわちブランド力!!!!
上にも挙げたようにApple製品は手を付けたが最後、選択の余地など無く(最も思考が奪われるので)、
純正品の周辺機器、関連品含めて、
何かと揃えていけばどんどん高額になっていくシステムだ。
それを顔色ひとつ変えずに手にする者共。
良いものは良いんだと言いながら、純正品だけで固めていく者共。
だってあいぽんが良いんでしょ?といいながら、何も考えずにあいぽんを弄っている者共。
いかにも仕事デキます俺、と言いたげに、ひけらかすように、スタバでMacBookAirを開き、エロサイトを観てる者共。
完璧でブランド力の高いスタイリッシュな優等生Apple製品を品質対価で手に入れ、
バカにしたようにしている奴等!!!!!!!
我輩は思う。
「ふん、間抜け共め。思考停止した末、世間の声に流されて手にしたのだろう。どうせお前らが見ているのは品質ではなくブランドだ」
そして誰にともなく問いかける。
なぜ彼らはさも正しそうにApple製品を触っているのだろう。
Appleこそ至高とでも言うように。
なぜ我輩にはそう見えてしまうのだろう。
その時、気づいたのだ。
つまり、このAppleへの嫌悪と敵視は、
我輩の、酷いコンプレックスから来るものに近いのだと。
我輩の劣等感は、マジョリティへの反抗へと姿を変えてしまったのだ。
ちなみに我輩は本当にAndroid、Windows、Linuxが好きである。
初めて買った泥製品はバグ機で名高いNexus7(2013)であった。
それを頻繁に殴りながら愛で、相当長く持っていたと思う(凄いことにバッテリー寿命が短くなった程度で未だに生きているし、リカバリしたら現役の動きをした、あんなに殴ったのにマジで凄い、相当ドMだったと思われる)
それから買い替え、現在はXiaomiのMiPad4と過ごしている。
手に入れてすぐカスタムROMを入れたのだが、これだよな!これだから泥はやめらんないよな!とテンションが爆上がりした。
Windowsが好きな理由もある。
ゴロゴロ溢れるソフト類、ハードのいじくりやすさが主だ。自由にいじくり回し、それによって何が起きても自己責任。生かすも殺すも我輩次第、最高じゃないか!
Linuxなんかも凄い、無料で軽快動作とはまさに!
死んだPCすら生き返らせる。USBに突っ込んで持ち運んで別PCで立ち上げることも可能。
多種多様なOSのなか、自分に合ったものを選び、自分の好きなようにカスタマイズできるのだ!
この自由度。
そう我輩はAppleにはない、この自由度が大好きだ。
己で考えて、己のままに出来る。
不完全で個性のある彼らは、
どんなものにだってなれるのだ!!
…と、ここまで打っていて、また一つ気づいてしまったことがある。
もしかしたら、我輩はこの、
時にクソで時に素晴らしい、Android、Windows、Linuxへ、
己の中の劣等意識を投影しているのかもしれない(し、不器用な人間が好きというアレに似た感情かもしれない。※我輩は不器用な人間が好きだ)。
劣等感とナルシシズム、そして偏愛を己の中に感じずにはいられない、
そんな今日この頃である。
というわけで我輩はAppleが嫌いだ。
スムーズで滑らかで紙に描くかのように倒して描画もできる、
完璧なApplePencilも嫌いだ。
つまるところ完璧なものが嫌いだ。
(なのにAppleの銀のピンバッジは持っている)