よく好きなもので盛り上がっている人たちがいる。
我輩はアレが出来ない。
はじめまして、我輩はボロボロ皇帝。
我輩は人との関わり合いが非情に下手で性格がクソである。
我輩がいかようにクソかは前の記事でお伝えしているので、興味のある諸君は見てくれてもいいぞ。
そんな我輩だが、さすがに仕事もしており普通の普通レベルには現実社会で人と関われている。その場の冗談へ返したり冗談を言ったりも出来る(冗談しか言わない職場ではない)。
だが、一歩仕事から切り離されたプライベート的会話となる別だ。
と言っても、プライベートの中の、「実際に起きた出来事」みたいな類は、慣れた人には話せる(例えば台風でメガネが吹っ飛んで防風雨のなか危うく一歩も動けなくなるところだったとかな。マジであったんだ。メガネユーザーな諸君は注意してくれたまえ)。
※ちなみに我輩の慣れの基準は1年みっちり同じ課で毎日会話するほど関わりがあるかどうかという部分に依存する。そうでないと慣れないので他愛もない会話すら無理だ。
そういった自己体験的出来事とはまた別ジャンルの、
好きなものについて。
これが我輩の苦手とする分野だ。
己の趣味、己の好きなもの、好きなマンガ、本、アニメ、音楽、映画、ゲーム、絵、etc…こういった好き語りとなってくると意味がわからないくらい喋れない。
※あれが面白い、これが面白い、とひと言で勧めることはできるが、
どう面白くこんなところが最高でここが興奮するとか、
そういう「語る」ことができないのだ。
ちなみに相手の好き語りを聞くのはバカほどうまいというか、それも別に苦ではないし、割と興味を持って聞いたり訊いたり返したりしていると思う。
とくに友人の話す内容は、我輩と違う趣味についてでも会話として楽しい(たまにはつまらん)。
それは恐らく当然なのだ。
何故ならば彼らは本当に気が合って付き合いを続けている、無理のない、言ってしまえば馬が合う者達だからだ。
馬が合う=感性が似ているということになるだろう。その似た感性の者達が話す内容がつまらんことはまずないのだ(たまにはつまらん)。
※無論、性格がクソな上コミュ障なので友人は少ない。片手の指未満である。これ遠回しに我輩の友人への罵倒にもなっているのか…?申し訳ないが我輩がクソなのは紛れもない事実であり自嘲でもなく、ただの事実容認なので仕方ないのだ。
そんな馬が合う彼らにすら、我輩は、自らの好き語りが出来ない。
もっと言えばそれ未満の関係性では自分でも理解不能な身体現象が起きる。
2,3年前の話だ。
休憩時間、職場でゲームをしていた。
それを覗き見た職場の人間(同課)から、何してるの?面白そう!と言われた我輩は、
ゲームタイトルなどを普通に答えながら、
そう、それは自分でも分かるほどに赤面していた。
何が起きたか自分でも分からなかったし、熱すぎていっそ○してくれと思うぐらいその現象が恥ずかしく更に赤面が広がり、恐らく「アイツなんで顔真っ赤にしたん?」とキモがられたことだろう。最悪だ。
別にエロゲをしていたわけでも美少女ゲームをしていたわけでもない。
普通の健全なゲームをしていた(ちなみにReaperというタイトルでアホみたいにやり込んでいた)
こんな我輩は、共通の趣味をもつ者へも、自らの好きを伝えることはできない。
もう好きを好きと言えないのだ。
なぜならもう赤面する可能性が存分にあるからである。
いや、この出来事以前から確かに自らの趣味を語るのを避けてきた節もある。
それというのもなんとなく赤面しそうとわかっていたからだ。
我輩は割と赤面する。
だがまさかここまで酷いことになっているとは思わなかった。
ここから自身を考察するに、
おそらく相当思春期を拗らせてしまったのだと思う。
コミュ障で大人しく過ごしてきた我輩は、
青春を青春らしく過ごしてもいないし、その時点からほとんど好き語りをしてこなかった。
そして性格はどんどん悪く、捻くれる一方でここまで来た。
(性格は治す気などないのでそこはどうでもいいが)
そういった拗れの積み重ねが、劣等感と恥を生み出し、
好きを発せない状況に追いやったのだろう。
それが本当に好きなものへとなるとなおさらだ。
文字ならまた別である。
※また人に対しても今のところ未知だ(魔法使いになりそうなのでな)。
好きなものについて、
対面リアルタイムの人相手となると我輩は好きを語れぬ。
好きなもので盛り上がることができぬ!
それと、
我輩が好きを語ったところで理解してもらえるのだろうか、とも思っている。誰にも理解してもらえる気がしないのだ。
悲観しているのではない。
ただ勘違いさせたり誤った伝え方になるのは怖い(し、好きがマイノリティ過ぎる)。
単純に分かってもらえない事が多そうでもあるし、
口で伝えることも仕事以外のことは下手なので伝わらなさそうだと…
まあコミュ障らしい理由だ。
※仕事ではとてつもなく報連相がうまい。自慢だ。今我輩は自慢している。
(社畜はこんな自慢しか出来ないのだ)
たかが好き語りを重く捉え過ぎだと思う者もいるだろう。
だが我輩にとっては、
好きとはそれほどに重く簡単に扱えない(と思うほどに思春期が拗れた)のだ。
ちなみにもっと言えば、何かを好きになることもあまり好きではない(好き好きうるさい文になってきたが許してくれ)。
もちろん、この好きになる対象というのは、漫画アニメゲーム諸々の、
対物、対作品に対してのことであるが、つまりハマる行為が苦手なのである。
と我輩は思っている。
まあこれはちょっと今回の記事と趣旨が違うので、また次の記事にでも書こうと思う。
とにかく我輩の好きはこのように重大なのだ。
十代のように重大で拗れた思春期、青い春なのだ。
(↑言いたかっただけである)
そんな重大なものを口から発するなどそれはもう大変なことなのだ。
そんなこんなで我輩は好き語りを諦めた。
そして我輩の好きな人(友人)の好きをたくさん聞くことにした。
この拗らせ思春期と理解してもらえないかもしれないという恐怖が、
我輩を繊細にし、
我輩は…
素晴らしき理解者となったのだ!ヌハハハハ!!
※ついでに己の性格と性癖があんまりにもあんまりなので滅多なことで引かないのだ(対個人限定)。
そして今の所は、
自分の好きは文字で好きなだけ自己満表現することにする。
その方が伝え方の誤りも起きづらい。
まあそれに、
そうしているうちに、もしかしたらいつかは自ら口で話せるようになるかもしれないしな。
余談だが、
誰相手だろうと、
マシンガントークで己の好きをぶつけまくっている人が一定数いるが、
あれは今話しているのが対人と理解しているのだろうか。
しかもそういう人たちの話す内容はクソつまらん上に、あまりこちらの返事を聞いていない。
こちらがどんな返事をしようと、彼らは既に次に自身が発する言葉、発したい言葉だけを考えているのが、嫌でも分かる。
まるで会話を成していない。
そんな一方通行なつまらんもんを、
目の前のつまらなさそうにしている人相手に垂れ流して楽しいのか。
我輩はいつも謎である。