今更だがそんな事を思った。
ペーペーリーマンの我輩は、やっぱ金に関しては色々考える。考えすぎて2,3ヶ月にいっぺん金の使い方が変わっている。身体が資本や→めっちゃ食おう、で食費増えたり、アカンわ、金が勿体無いわ、で食費極端に極力減らしたり。
まあこれ、最近からであって、2年くらい前まではもうずっと、食費に金はほぼかけないスタイルで過ごしていたため(そこに特別無理は無かった)、なんつうか今は、試行中の段階であったのだ。
どう考えるのがベストなのか、どうする方がいいのか。
当然身体が大事なことに変わりはない。
かと言って食費を浪費のようにしては良くない(一ヶ月やってわかった。いくらあっても足りないとまではいかないが、習慣化したら他に対する金銭感覚もおかしくなる)。
元々食わなければ食わないでいいやとか、面倒くさいとか、食への執着が睡眠と趣味に負けるタイプなので、食うぞ!と意気込まなくなった途端、また昔へと逆戻りの現状もある。
だが納豆を好きになっただけでも、だいぶ食生活は改善したはずだ。めっちゃ精進料理みたいになってるが(納豆、卵、キャベツ、バナナetc)。
それから最近世の中の技術の発展のおかげで副収入が増えるようになり、それを貯めたいあまりに、更に金を使わない意識が芽生えていた。これが多分一、二ヶ月前のこと。
要は、せっかく入ってきた分、減らしたくないンゴ…である。
よく聞くような、副収入の分、得したからちょっと贅沢しよう、とかいう考えは湧かないんで(欲求的には湧かせたいが、所詮たったこの程度でいつまで続くかもわからんのにアホか、みたいな気持ちになり打ち消される)、それが極端な状態になり、入ってきたけど使ったら帳消しや、意味無いんや…みたいな変な追い込み精神が増していき、出費制限強化が始まっていった。これは根底に仕事を辞めたい、という気持ちがずっとあるからだろう。むしろ原因はそれしかない。
それからようやく数日前、
いや使わんことよりもっと生み出す事を考えろや、安定して生み出せたら使わん事に意識持っていかんでもええやろ
ということ、
使ったからって帳消しにはならん、その使った分が無駄なもんでない限り、それ(収入)とこれ(支出)とは無関係で、結びつくもんではないんや
といった思考にようやく行き着き、安定してきた。
(だがまたその思考の理屈を忘れてまた同じ動きをしかねないので、備忘録として、ここに残している)
よくよく考えたらおかしな話なのである。使ったらプラマイゼロなんて。数字だけで見れば確かにそうかもしれんが、それぞれ分けて考えるべきだ。
何がマズイかと言うと、ひとつ、意識が分散される点である。
思うに、集中力にも出力のキャパはある。
仮に2Aだとすると、支出と収入それぞれに意識を持っていく場合、各1Aずつとなり、どちらにも2Aは数値的にまず不可能なのだ。つまり意識が半減、分散して結果的に収入への思考が中途半端になり良くない。これ、ものすごく切り替えの早いタイプであれば、2Aずつ高速スイッチングして出力可能だとは思うが、我輩は凡才なので無理。
あともっと正確に言うと、実は1Aずつも出力なんてできなくて(人間マルチタスクは不可だから)単純に一方を1Aで出力中は、もう一方で接続中の分を1A出力できるように準備待機状態の可能性が高い。無駄な待機が発生しているのだ、そこに意識を持っていこうと考えるあまりに。
減らさない事に集中することで結果的に入ってくる量が増えるわけではない。
入る分は入る分、それが変わることはない。
ならば極端に制限する必要はなく、増やす方に集中した方が良いのだ。
ふたつめに、結局出るときは出る、という事がある。
出さないようにとしたところで出るわけで、そのことにまで悲しんだり落ち込んだり苛ついたりと、いちいち気にしていてはガチで思考の無駄。それはそれこれはこれだ(思考停止しろの意味ではない。出さずに済む手法がありそうなら考えたほうがいいが、一定時間考えてもまるで無いなら一旦すっぱり諦めて収入へ集中しよう)。
当たり前のことだが、支出の制限は生活の制限に直結する。だがそれにも限度がある。生きるってのは消費とは切っても切り離せない活動である。始まりから終わりまで命は消耗していくものだし、消耗を抑えスピードを緩めるため、生命のエネルギーを保つため、何かを消費し動力へ変える必要がある。
物理的肉体的生命に直結することもそうだが、精神の消耗を抑え活力を与えるには、それ以外も必要となってくるだろう。
これらを無理やり抑えたら恐らく心身の消耗スピードが上がる。生きている以上、何かを費やすものと割り切り、本末転倒にならぬよう、やりすぎ注意なのである。
…とまあそんな感じで、ひとまず使わないより増やすに思考をぶん投げてみる事にした。
つかようよう考えたら毎日睡魔には負けがちなんで、金銭浪費よりも時間浪費が我輩の敵なんだろうが、なるべくは努力しよう。
全ては辞職のために!