⚠注意⚠哲学的だとか大層に言ってはみたが、なんか違うやん、な状態になる恐れもある。その文句は受け付けぬので悪しからず。
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AIにより生成された画像の投稿を、各イラストやらの投稿サイト、素材サイト等が続々禁止にしている中で(人間の手がガッツリ加わっておりAI判定を巡回Botからも人間からも喰らわないものを除く)、
これは、簡単お手軽に好ましいもんが生まれてラッキーやん(^o^)といった欲の面だけではなく、しっかりとAI(人工知能)と人間の生成物の何が異なり、なぜ禁止とされていくのか考えなくてはアカンのでは、
と、ふと会社からの帰り道に思ったのが、この記事を書くことになったきっかけである。
※当然権利問題やなんやかんやもあるが、基本的にAI生成はコラージュとはまた違い、学習物から各要素を習得、混合し、どこが誰の著作物だとかといった境界のない粘土的まぜこぜ作品(ある種キメラ)なわけで、即権利侵害判定ができる物のほうがまず少ない(既存キャラクターの生成、混合不足を除く)。だが、なぜここまで禁止声明が続々上がるか、その背景には切っても切れない人間とアートの歴史があるはずなのである…。
まずアート、そして芸術とは何か(以下アート=芸術)、そこから考える必要がある。
ちなみに我輩にとって芸術とは、
・感情揺さぶるもの
・思想、感覚といった、どちらかと言えば理性より感情寄り、客観より主観視点での思考ありきでの表現手段
・作り手、観手、どちらにとってでもいいが、思い巡らす余地があるもの
と思っているが、はていかに。
さっそくGoogleで芸術、アート/芸術の概念について調べてみた(思い込みで話してもアレなんで)。
芸術(Art) とは:
特定の材料・様式などによって美を追求・表現しようとする人間の活動。および、その所産。絵画・彫刻・建築などの空間芸術、音楽・文学などの時間芸術、演劇・映画・舞踊・オペラなどの総合芸術など。「—の秋」「—品」
表現者或いは表現物と、鑑賞者とが相互に作用し合うことなどで、精神的・感覚的な変動を得ようとする活動のこと。
〜ウィクショナリー より〜
Art is a diverse range of human activity, and resulting product, that involves creative or imaginative talent expressive of technical proficiency, beauty, emotional power, or conceptual ideas.
訳)芸術は、技術的習熟度、美しさ、感情的な力、または概念的な考えを表現する創造的または想像的な才能を含む多様な範囲の人間の活動、および結果として生じる製品である。
〜英語Wikipedia より〜
おお…。
考えるな感じろを言葉で説明するとこうなる、といった感じだな。辞書は凄い。
ちなみに、個人的に気になったのは、
「精神的・感覚的な変動を得ようとする活動」
「人間の活動」
といった部分。
なるほど、芸術とは活動だったのか。
活動とは、積極的な動きを意味するが、積極的に動いてるからには基本的に自らの意志であり、強制ではない。
つまり、アートとは人間の能動的部分、人間ゆえにやめられない活動ということになるだろう。
なぜやめられないのか。
それは恐らく人間としての本能が求めるからだ。
これは動物として、とは異なる。だが動物的本能ではないからといって一概に理性とは言えないだろう。
時には、三大欲求を満たすのすらもおろそかに、人間が駆り立てられるようにして求めてしまう、それが芸術(まあ芸術は性欲の代弁者になることもあるので、場合によるが)、
人間だけが抱く活動本能なのだ。
この感じ…芸術という言葉に対するしゅごい感を覆すようだが、特別高尚なものではないとみたので、ここに芸術欲と名付けよう。
我々は本能により、芸術欲を抱く。
そして、その芸術欲を人工知能ではなく、自分の脳みそで処理し、
つまり、本能と知性の狭間で生み出された産物、それこそが芸術作品なのだ。
だが時は2022年。AIがその、脳みそで処理する工程を代行してくれるようになった現代。
我々は芸術を欲しがれば欲しがる分だけ得ることができるようになってしまった。
もちろん、AIの使い方にもよるけどな。
ぼんやりではなく、ある程度の整ったイメージが脳内にあり、そのイメージを言語化して、イメージ通りに生成しようと試みる場合においては、ほとんどこれまでの芸術活動と大差なく感じる。変わったのは生み出すツールのみだ。
だがそのような人はごく少数だろう。
ほとんどの場合、完璧なイメージを言語化しているのではなく、
Googleの検索窓に言語を入力するのと同様にプロンプトを打ち込み、
イメージという美しい回答を求めようとしているに過ぎない。
…とまあここまで考えて、ではそれの何が悪いのかと自問することになってしまった。
その何がいけないのか。
考えても、論理的な説明ができない。
今時点では、良いも悪いも何もないとしか言えない。
元よりこの世の全てには正誤も善悪もなく、すべては人間が生み出したルールや答えに基づいている。
それらは人間が人間らしくあるために、人間であるがために、悩み、思考し、作り出したものだ。
動物的本能や欲を、理性や知性だけでなく感情を以てして制御する。
主観と客観を共感や同調という意識で紐付ける。
答えのないことに疑問を抱き、そして思考で答えを生み出す。
そうして倫理、道徳、価値観…etc、すべてが生まれ、廃れ、変化してきた。
人間はこれら全てを行う。そういう生き物なのである。思考せざる得ない生き物なのだ。
そして時に我々人間は、言葉にならない思考の主張を芸術に託してきた。
この、止まない思考こそが芸術の根幹たる本能なのである。
そこには利益云々とは相容れない、もっと根本的な、自己の表現があったはずだ。
これは作品が、広がる想像から生み出された場合でも、現実に見たシーンの描写によるものでも同じである。
例えば前者なら、喜び怒り悲しみ苦しみ愛や思想を、後者の場合は目にした光景のその瞬間に躍動した己の心情を宿すだろう(あくまで一例)。
では(何を言いたかったか分からなくなるので)話を少し前に戻す。
まとめると、人間の活動である芸術とは、
人間の本能とも言える思考が追い求めるその先にある産物と活動、であることになる。
人間の止めどなく溢れる思考が生んだはずの芸術は、思考なくしてAIにより代行処理され、我々人間は簡単に欲を満たせるようになった。
それの良し悪しは今早急に決められる問題ではない。
ただ、これらを考えていけば、AIによって奪われているのは単純に人間の手業というばかりではないことが見えてくる。
AIの処理は人間の思考処理を短くした。芸術において重要な思考処理を。これが意味するのは、一部の芸術活動が失われたということである。
プロンプトを入力し何度も何度も生成を続け、これいい(^p^)と生成物を保存(我輩はこうして700枚近く保存した)。
まさしくAIに思考を奪われ、欲に食われている人間そのものである。
どこかの風刺にでもありそうなこの現状を、人間の活動によるものではない=確かに芸術ではない、とするならば。
イラスト投稿サイト等が続々AI生成イラストに対して規制をかけるのも、
アート性といった概念に反する生成物が多く生まれ、アートではなくただの模倣図で溢れ返る未来を、少なからず危惧してのことではないか。
そう考えれば、見えない権利問題で押し切るよりも、なんとなく分かりやすく腑に落ちてくる。
…まあ、実際には想像の域を出ない事で、運営の意図するところとは全く関係ないかもしれんけどな。
ここに行き着いた我輩の思考もまた、人間ゆえの本能的活動である。つまり答えはないのに考えてしまいまして脳みそが回転して生きています、ってことだ。
ここからは余談である。
極論だが、
この先仮にAI生成絵が一般的となり、画家、イラストレーター等、絵を描く者の需要がなくなり、職種が消えたとしても、絵を描く人は一生いなくならない、と断言しよう。
何度も言っているようにこの表現は思考の行き着く先だからだ。人間は脳は稼働し続ける限り、思考を止める事はできない。
努力、頑張り、苦労を差し引いても、それらすらもを凌駕する、それこそ本能、芸術欲によるものだからだ。
損得勘定無しにただ描き続ける者は確実にいる。要は一部の才能と人脈ある者を除き、趣味ってことだな。昔がそうだったように。
あと現実的な話をすれば、AI使用のイラストレーターは、人間の感情が許す限り、需要が生まれるだろう。
ローカル生成の品質(解像度等)がマシンスペックに依存する状況が変化しない限り、または導入するまでもなくWindows標準搭載のペイントソフト同様の生成ツールプリインストールが当然の時代にならない限り、
デザインを外部に委託する企業はしばらく減らない。まだまだ委託したほうが早いし楽だという認識があるからだ。
ただし自社完結するところも出てくるだろうし、金銭的価値は下がるのだろう。※人間の想像力を遥かに上回り見る者を圧倒するような一部の作品を除いて。
更に、前にこの記事で言及した事だが、mimic的サービスの技術強化サブスク版が出れば、己の個性を学習素材として売り出す時代に戻ることができるかもしれない。そう考えれば未来はあるな*1。
いやというか今こそ個性なのか?AIが量産できるだけ学習した絵柄はもう飽和状態ってことで。だがまあ昔と違い、色んな絵柄がある時代なんで、我流タッチを突き詰めていくのは難しいような気もするな。それもこれもアイディア力次第ってとこか。
目下はとりあえず共存だろう。上手くツールを使い取り込むのだ。取り込まれるのではなく。
そしていずれAdobeがCCにAI Creatorを同梱する未来が見える…。※妄想です。
→10/26追記:一週間ほど前、実際に、Adobeが画像生成AIの開発を進めていると発表した。まあこれが自然な流れだな。
倫理的・法的に透明性が高くクリエイターが正当に利益を得られることを目指すとも言っており、今後Adobeを筆頭にクリエイター、利用者、サービス提供者の全員が良好でWin-Winな関係を結べるツールとしての高品質(クリアという意味で)な画像生成AIが各社から誕生していく事だろう。もちろん既存の法的にグレーなAIの技術進歩も止まらないと思うけどな。
それと、過去NFT記事でも言ったように、やはり個人的にはアナログ絵だ。
価値のみでの視点でいった場合、どう考えても希少性が重要である。視覚的に唯一無二のアナログ絵に、いずれ回帰する、というのが個人的な脳内シナリオである(現実には流行にもよるんだけどな)。
以下、我輩がAIで生成したブツ↓(使用はStable DiffusionとERNIE-ViLGのみ)
たわごと↓
なんならもっと早く駆け出しAIの精度を上げて、今のように現存する作品から要素を習得し模倣するのではなく、本当の意味で新たなものを生み出す創造が可能になってほしいもんだ。んでもって、脳内イメージとも連動してほしい。
ちなみに脳内イメージなんて出力するまでは絶対歪みが多いんで、リアルタイム出力を望む。それを視覚的に見ながら考えるだけでグニャグニャと整えていきたい。
それが可能になって初めて、アートは技を持つ者だけが作り出せる特別なものではなくなり、イメージを持つ者が平等に扱えるようになる、と言える。
※言葉も脳内の収録語数や文章力など、扱う人によってそれぞれだ。だが難易度は断然低い。イメージでの表現も同じようになるには、電気信号だとか何かしらで出力媒体と連動できるようにならんとだよな。というかこれができたら、思考のイメージ化に成功した、ということになり多分人の夢をも覗ける世の中になっているはずだ。ということはしばらく無理だな。
つかそれだとAI(人工知能)ではなく、人間知能なのか…?
いや違うな。イメージの出力はあくまで疑似的(イメージとしては通話の仕組みと同じで声をそのまま送るのではなく、重いデータ量を減らすため波形から近いサンプリング音を送ってる的なアレ)にしかなり得ないはずなので、習得しまくった万能AIは必要だ。そうじゃないとどう出力するんだ。ペイントソフトのパターンやブラシと同じだ。多くを表現できるAIで人間が自由にイメージのまま描くのだ。そうなる未来が来るなら楽しみだな。それまで人間と地球が共存できているかだが。
あと、「写真というものを生み出すカメラの誕生時も同じように批判が〜」と言ってる人たち結構いるが、有る物を写すか無い物を写すか、ってのは個人的には相当な違いだと思っている。現実を切り取る写真は確かに当時チートだっただろうが、AIの生成物は用途が多岐に渡る分、アート界のみならずそれとは無関係の領域にまで影響を及ぼす。信頼性や情報の混濁化といった面での問題に対し、複数の視点を持たねばならないため非常に複雑で、カメラの歴史は比較対象にならんだろう。
20230322、カメラと同じか否か論争について個人的に行き着いた先↓
20231130
ホイきた!思考のイメージ化技術が研究開発されだしたぞ!
まあ今ん所、ヒョウ想像しても幼児が描いたカバみたいにしかならんようだが…まあそれでも案外近い将来に高めの精度が実現してそうだな。未来に期待である。
*1:10/27追記:まさにこれに近いサービス提供をShutterstockが始めると発表した↓