昨日、マスク着用ルールが変更された。
内容は以下の通り。
屋内で、マスクは原則着用のルールだったよね(^o^)?今後は個人の判断だよ(^o^)でも事業者判断で着用を求められる場合もあるし従業員がマスク着用していることは普通にあるよ(^o^)という、要は、
我々は強いませんが事業者側が言ってくることはあります、そこに我々の介入も無ければ責任もありませんので、どうぞ自分らで勝手になさってください
といった話であった。
が。
ちょっと待てよ、これ何が変わるん(´・ω・`)?が正直な感想である。※つかご自身を感染から守るために、ちゃうわ。まれに出現する咳き込んでてもマスクしない奴への注意喚起から始めろ。
そもそも原則着用、だったっけ?着用を求める、推奨レベルだったよな?
だからこそ強制力も無ければ義務でも無く、一定数いる基地外マスク拒否者が騒いで裁判になったりもしてたわけで。原則だったらむしろ航空機内の奴なんか起こり得なかった(か、起きても原則ルールに則った早急な対応が可能だった)はずだ。状況的に集団過ぎて原則に対する例外ルールも適用されなかろうし。
ずっと、これまで、事業者が勝手にどうにかしろ、だった。なんか結局言ってること大して変わってないのに更に責任放棄した感が強くて、腹が立つ。困るのは末端の従業員だ。三越の件*1もクソほど腹立ったので、このような拒否者のイカれた言動の原因は脳だ、そして最も悪は、経済も感染者増もすべての結果の責任を取りたくないがために、何もかもを曖昧にし個人のモラルだけ委ねようとする国だ、という持論記事上げようとしてたが時間なくて未だできてないほどに、マスクのルールには腹が立っている。
なので、調べてみた。
最初Google検索してたがめんどくなったので(既に13日の情報で埋め尽くされている)、厚労省の公式Twitterアカウントから。
適当に昨年2022年の12月1日以前で指定し、原則着用、という言葉を彼らは使っているのか、ツイート検索である。
結果…
無い。
まあ違う言葉であるかもしれない、というわけで、着用だけでも検索してみることに。
出てきた昨年10月14日のツイート。
このとき、屋外でのルールが緩和されたことに伴って厚労省制作のルールPOPみたいなもんが変更されたわけだ。
そしてここでも…
原則着用など書かれていない。(むしろ屋外での原則不要のを方強調している)
どこまでいっても、
マスクの着用をお願いします。
なのだ。
ずっと、頼んます〜頼んます〜としか、国は言っていない。
だが、この時にもしかしたら屋内着用も若干緩和されていたのかもしれない。
そう考え、更にこれより前のルールを探してみることに。
2022年1月3日のツイート、
正しいマスクの使い方として、こちらもご協力をお願いしますと出てきた。
会話時は必ず着用とあるだけマシではあるが、ただの協力願いの域を出ない点には変わりない。※そもそも必ず着用のお願いって、どこまで予防線張んねん、と言いたくなるほど言い切りを巧妙に避けに避けている。
更に一昨年へと遡る。
はたらく細胞とかラブライブとコラボしとったんか、とか言う以外に特筆すべき事無し…感染対策の徹底をこれまたお願いしているのみ。
更に一昨年の夏頃。
もうこの辺で遡るのはやめた。もう結論は出ている。
原則着用なんて言ってないしそれに変わる言葉などの表記もツイートも無いし、ずっとご協力のお願いをしているだけだったのだ。
そうだ、このルールと呼べないルールに、企業も客も(学校も生徒もその他も)、常に振り回され続けてきた。※まあ、うちを利用するなら着用の協力してねっつってるところで絶対拒む奴は普通にマナーとかエチケットとかを理解できないバカでしかないが、バカが一定数いるのなんて分かりきってるわけで、そこをルールで固めなかったことが問題だったって話である。今回も同様。屋外原則不要としたように、屋内原則不要と変更すればよかっただけのことを、そうは言わず、またも中途半端に表現をぼかしただけなのだ。なんやねん。これは緩和ではない。
決めてくれない国、協力してくれる9割以上の客と協力をしてくれない1割未満の客、常に板挟み状態である。
ずっと書かれている内容は変わってはいないし、これまでもこれからも国民のためのルールではない、政府を守るためのルールだ。
結果的に常に国民に委ねる状況でしかなかったわけだが、何かが変わったように見せかけるだけの言葉遊びが続く。
変更後とされたルールには、マスク着脱を強いないよう、個人の判断が尊重されるよう配慮してやの記載、その下にフォントサイズを少し小さくし事業者の判断でマスク着用を求められるかもねとも表記。
どちらにとっても都合よくとれるこれらの2文は、どちらかが自分の主張を曲げる、妥協する、諦める、それらをしないことには成立しない矛盾だ。それが無理だというのは、既に起きた事例から明白じゃないか。
何かを取ることは何かを捨てることである。そして政府は自分たちの身を取ったとしか、受け取りようがない現状。
せめて、来る5月8日の5類移行を待ってから、明確なルール改定に踏み切ればよかった。だが、どうだろう。そのときになっても結局、今回のように曖昧表現で適当にかわすんだろうか。それが想像出来てしまうのがなんともな。そうじゃないことを祈るが。
ちなみに海外で早くマスクが取れたのは、習慣的なもんもあろうが、元々着用を法規制し強制力のあるものにしていたから、義務化していたから、これに尽きるだろう。オンオフの主導を国が握る、これは行使していい権限だし、それが責任のはずだ。
白黒ハッキリさせず、国民に様子伺いをさせるのは卑怯である。卑怯改定だ。
国民自己判断で勝手にしろや卑怯改定では、集団心理が働き多数派に流れるだけでしかない(日本人の性質的にも)。多数派もいれば少数派もいるわけで、統率するルールが確たるものでない限り、意見の分裂で問題は起き続けるだろう。もはや勝手に喧嘩してろと言われてるようなもん。
高リスクな場でのマスク着用協力体制も、完全な脱マスクも、全てが遠のくし、放任された状況では面倒なことばっかだが、なんにせよとにかく個人的にはもう二度と感染りたくないんで、前やってた出先でもアルコール常備体制にまた切り替えんとな、と思っている次第。