今週のお題「告白します」というやつを見て、なにか希少な告白あるか?と己に問いかけた。
たとえば、セクシャル的話や性癖の話をしたとして、ただ我輩が興奮するだけだし、知らんやつのそういう話って、そこだけに焦点を当てて話をされても、そもそもの先入観が無く意外性が生まれなくて場合によってはクソつまらんし告白として意味を成さぬなと思い、やめようと思った(ついでに言えば我輩は意外性に興奮する)。
後もう一つ、片耳犯してないと色々集中できないという話をしようかとも思ったが長くなりそうだから告白云々と言うより、単純に今度にしようと思った。
記憶力も弱いし告白のネタになりそうなものは思い浮かばんからもうお題で書くのはやめるか、とかなんとか思いながら、いつものように手探りでアラームのスヌーズを止めた。そしてハッとして手元を見たところで表題のとおり。
我輩はいまだガラケー保持者である。
機種はこれ↑CasioのEXILIM、CA003だ。
すでに一般向けコンデジ生産からは撤退したカシオの、当時カメラ機能に重点を置いていた(ような気がする)機種である。あとコイツのライトはどんな電灯よりも明るい。世界一である(※個人の感想です)。
なぜこのことを【告白】の題材として選んだか、軽く説明しよう。
告白とは秘密的なアレを打ち明ける行為。
そして秘密とは大体の場合において当人にとっては、罪であったり恥であったりと、人目に晒さぬようにと「隠す」ものであろう。
もちろんガラケー持ちは罪ではない。
だが、さすがにそろそろ恥ずかしい。
このように、まさに恥と感じ始めたのがここ1,2年のことであり、それ以来「あ〜、ガラケーっすよ〜(^o^)」だとか安易に口にも出せていないので(恥ずかしすぎて)、せっかくだからここで恥を告白しておこうと思ったのだ。
と、クソみたいに長い前置きのせいで挨拶が漏れていた。
ようこそ諸君。我輩はボロボロ皇帝。
ではガラケー(以下コイツ)と我輩と時々蘇生について話しいこう(告白的懐古)。
さっそくだが、
格安SIMとか選択肢増えてきた中でやっすいプランも増えてきたじゃろ(´・ω・`)?
なぜお前は恥ずかしがりながらいまだにガラケーを持っているのだ(´・ω・`)?
こんな声が聞こえてきそうである。
さぁ…
なんでだろうな?
気づいたらここまで来ていたのだ。
だってコイツはまだ生きているし。
我輩の雑な扱いについてきてくれたし(落っことすし間違ってぶん投げたこともあるが頑張っている)。
コイツは偉いのだ――……。
コイツと我輩が出会ったのは今から約10年ほど前の事。
我輩が高校1年、入学時期頃のことである。
その約3年後には既にスマホが主流になっていったな。
この時、我輩は一ミリも焦っていなかった。
高校を卒業して新卒入社した会社で、「ウェーイwwwLINE交換しようぜwww」とか言っている同期に、「あ、ガラケーだから(^o^)」と返し、同期研修後の集まり的なものにも全く参加せず、突き放しを貫いていたのも懐かしい思い出である(同期とはいまでももちろん仲良くない)。
2013年半ば頃。
やはりコイツと共にいた我輩。
仕事にもようやく慣れ始め、さすがに会社とのやり取り、また最も、時間つぶしや娯楽にガラケーだけではやりづらいことに気づいていたが、スマホへの機種変は一切考えていなかった。
この時、スマホではなくタブレットという選択肢に気づき、2013年11月ごろNexus7(2013)Wi-Fiモデルを買ったのだ。
つまりガラケーとタブレット(Android)の2台持ちであるが、
厳密に言えばこれに加えて通信のためにモバイルルーター(現Yモバ、当時Eモバの白ロム端末にOCNモバイルoneのSIMを挿していた)を持っていたので、
かさばることこの上ない状況であったが、あまり気にしていなかった。
それからも特に人目を気にすることもなく、コイツを手に持ち普通に通話をしたり、コイツの唯一の長所であるカメラ機能を使って写真を撮ったりし、日々、コイツとの愛を育んでいった。
※人前では通話以外使うことはなかったが。
※ちなみに2017年頃までカメラ機能をガンガン使っていた気がする(OLYMPUSのコンデジSH-1の次に使っていた)。正直Nexus7より大分画質が良かった。つまりNexus7のカメラ性能がクソだったということだ。
ちなみにコイツで撮った写真がこれだ↓
結構いい感じだろう。※軽くレタッチはしているがこの世の大体の写真がレタッチされているかフィルター掛けられているかだから、同条件だ。
ある日のこと(大体2017、8年頃)。
コイツが急に目を覚まさなくなった。
たしかに、以前から不調ではあったのだ。
我輩は必死にコイツを揺さぶった(バッテリー抜き差しと電源ボタン長押ししまくった)。
おい!
目を覚ませよ!!
俺を置いていくなよ!!!
まだ大丈夫だって言ってたじゃないか!!!!
(実際には音を上げていたのかもしれないが)
そしてまあ色々抜いたり挿したりの疑似死姦みたいなことをしてようやく、SDカードを引っこ抜くと電源が入ることに気づいた我輩。
あーよかった、SDカード読み取り部分がおかしくなってるだけだな。
人間も耳に綿棒突っ込んだら咳き込みたくなったりするしアレと同じだな(諸君はならないだろうか?我輩はなる)。
まだ生きているね。まだ一緒にいようね…。
(ちなみにSDリーダー故障はCA003特有の症状である。自力で直せないかネットで調べて気づいた。そりゃこんだけ年月も経てばどこかしらおかしくはなるわな。ちなみに直せてはいない、無理と悟った)
それから不調は重なった。
コイツはガラケーだ。
ガラケーとは閉じるものである(閉じないタイプのガラケーの話はしないでくれ)。
閉じた瞬間、コイツは意識不明になることが増えた。
パタンと閉じたら、昏睡だ。
その度心肺蘇生処置を施した(普通に電源入れるだけ)。
だが閉じた後なのでなかなか気づくのが難しい。
我輩はコイツに毎日起こしてもらっている。
コイツが昏睡状態に陥ったら…
誰が起こしてくれるというのだ…!!!
おかげで遅刻したこともある。
それからヒヤヒヤしながら閉じることが増えた。
(遅刻報告書に今後タブレットでもアラームあてる的なクソみたいな事書いた気がする。実際タブレットと二重でアラームセットしている。朝から賑やかである)
そして現在である。
調子が良かったり悪かったりを繰り返し、最近は昏睡状態に陥ることがなぜだか大分減って、やはり我輩はコイツと共にいる。
ガラケーは確かに数年前より周囲から消え、目にすることはほぼ無くなった(ジジババ除く)。
だがまだあの頃はガラケーの名残のようなものがあったように思う。
ガラケーたちがいた、証、匂いのような、そんな感じのものだ。
2021年。
何がこうも違うのか、言葉にするのがとても難しいのだが、今やそこにガラケーたちがいたはずの、その跡すらも見えない。
まあ単純に年月の経過がそうさせているだけかもしれないが、
あの頃、「まだお前ガラケーなのかwww」という笑いのネタ程度にはなっていたコイツ(笑いのネタにしてすまんかった)。
だが今ガラケーを出したら…
正直引かれそうである。
何がこの心理を生み出すのか。
1,2年の月日で何故そのような恥が生まれてしまったのか。
それは本当に環境の変化なのか。
匂いが消えたとかわけわからん気持ちになるのは、異様に恥じてしまうのは、
本当にガラケーが原因なのか?
もしかして原因は我輩自身ではないのか?
我輩は記事を打ちながら己の内なる心理に気づくことが多い。
色々言葉を文字として吐き出しながら整理していると気付きやすいのだ(たまに間違ってはいる)。
恥と向き合うのは恥ずかしすぎて、キツイ(ぁ゛あ゛あ゛あ゛ア゛ッ!となる)。
だが、自分でえぐり、時に客観視することで真実に近づく気がするのでやめられない。それにえぐるときに痛む反面、恥までもを剥き出しにして己を己として認めたいという気持ちもある(自己愛である)。
それが容易にできるのがブログである(公開自慰みたいなもんだな)。
そして今、我輩はコイツを恥と感じ始めた急な心情の変化について、なんだか今分かったような気がした。
1,2年で変わったことと言えば、時、つまり我輩の年齢も然りだ。
四捨五入で年齢を例える現代に則って言うなれば、我輩は、現在アラサーとなったのである。
アラサーであり魔法使いまっしぐら。
変化を拒むこと化石の如し。
それが笑って済まされていたアラトゥエとは違う(※アラトゥエとは多分Around20の事である)
何か、変わらなくてはならないのではないか?
ちょうど去年か一昨年か、我輩の同い年の同期が結婚しやがった(仲は良くないが同じ部署なので分かる)。
よく考えればそういう年齢だ。誰それが結婚した!結婚した!結婚した!!
我輩は思う。
やめろ!焦るだろう!
だが焦るは心ばかりである。
行動力ゼロ野郎の我輩は、アラトゥエの頃と相も変わらず日々を過ごし、いつの間にか焦りも自然と消えていった。
別に結婚願望があるから焦っていたわけではなく、周りを見ての一時的なものだったのだから当然だ(そもそも相手がいねえ)。
そう、その感情は消えていった。
はずなのだが。
おそらくはこの感覚が我輩の心の奥底に残っているのである。
染み付いた恥として。
ずっと手元にいるコイツ。
ずっと変わらない我輩。
時は流れる。
変われと世間が言っているような気がする。
それにまだガラケー持ってたらちょっとヤバそう。
物持ちがいいの度を越しているなど、百も承知だ。
(いやタブレットあるから差し迫ってなくて機種変しに行くのクソだるくて、とか長ったらしい理由わざわざ言いたくもないし、言ったところでヤバそうなことには変わりないので気づかれたくもない)
ヤバいからコイツ…DT…
とか察されたくはない!
つまり、
我輩は己の恥と自信喪失の要因を、
己と共に歩んできたコイツになすり付けてしまっていたのだ。
我輩は今、コイツに謝りたい。
お前は恥ではない。
お前を所有する我輩が恥なのだ。
我輩に自信があれば、きっとお前も、その死にかけの肉体で光り輝くことができていたはずなのに。
我輩が性格クソで童貞なばっかりに…。
本当にすまなかった…。
我輩はコイツのその身が果てるまで、これからも共に過ごすだろう(まあやはり堂々と出すことは拒まれるが)。
※正確にはその身が果てるか2022年3月31日まで(au3G回線終了の日)
我輩の恥を被ってくれた(もしくは被された)、愛しいお前と共に…。
我輩の恥と、コイツに対する罪の(気持ち悪い)告白であった。