ああああああああああああああああああ!
はじめまして、我輩はボロボロ皇帝。
今日は日々の疑問が怒りに変わったので我輩の思うままに述べようと思うぞ。
我輩はTwitterなるもののアカウントを二つ持っている。
1つ目:2013年から使っている、何も考えないで自分のやりたいようにつぶやいているだけの意味はないアカウント。
フォロワーともほぼ関わりがない(というかなんで我輩をフォローしてるのかわからない)、ただただ好きな記事を見たりなんやかんや、メモ代わりにしたり、とても楽なアカウントである。
何のためにやっているかという目的などはない。初めた理由もしょうもないので割愛する。
2つ目:2020年11月頃から使っている、つまり出来たてほやほやのアカウント。今回はこのアカウントについての事である。
これは我輩の創作、すなわち絵や文などを作成する際の名前で利用している。そうだ言ってしまえば、
創作仲間とつながり、あわよくば、いやあわよくなくとも、
大前提に、
\フォロワー増やして知名度上げてー!/
(^o^)
という下心ありきで作ったアカウントだ。
その思惑はすぐに崩れ去った。
我輩は致命的に人との関わり合いが下手である。そして致命的に性格が悪い。
要はクソだ。
よくあるツイッターハウツー的なあれには、
自分からフォローしにいけ!
とあるし恐らくそれは間違いないのであろう(知らんが)。
だが、興味もない同じ思惑の人間をフォローしに行ったとて、疲れるのだ。
※興味がないと言っている時点でクソなのだがそこは放っといてくれ。
正直、その人の作品だとか、その人のつぶやきが流れてくるなら別に良い。それに人間味があるとなお良い。
けれどそういった類の人間は相互なんたらを狙っているため、頻繁になんでもかんでもRT・いいねし、タイムラインが見たくもないRTといいねで溢れかえって、それがなおかつ同じ創作関連のものだと、
なんだこの、いいねとRTが多いものは!クソ!
何褒めあってんだクソ!
仲良くしやがってクソ!
という僻み妬みの負の感情で溢れかえってまさしく、創作意欲、といえば聞こえは良いが作りたい欲求みたいな、汚くて申し訳ないが【性欲に近いもん】がまるごと削がれる。
凄いと素直に思う感情?謙遜?知るかそんなもん!どっかに置いてきたのだ!もしくはもとより無かったのだ!
この悔しさをバネに昇華させ向上心と熱意とやる気と気力と…
に、変えられる人間だったならばどれだけ良かっただろうか。
まあ我輩には無理である。
フォロバを狙うことを性格的に諦めた我輩は、
Google先生に改めて訊ねたのだ。
フォロー される アカウント とは
出てきた奴らはGoogle先生の代わりにこう答えた。
「前向きな言葉だけをつぶやくがよろし♪」はあ、前向きな言葉とな。はぁ…。
我輩は比較的楽観的な人間ではある。
そして嫌なことからの切り替えは多分割と早い。
だからといって年中明るく元気に振る舞っているわけではない。
落ち込むときは人に迷惑をかけないよう落ち込むし、
笑いたい時に笑う。
我輩は誰にでも明るくできる人間が好きではない。
彼らは誰とでも仲良く出来る。
それは器用ということだ。
器用な人間は信用できない。人間味がないのだ。それに何考えているかわからん。そして媚がうまい。
同僚からの評判はすこぶる悪いのに、上層部へ媚びるのが上手くて上に昇った人間なんざアホほどいるからな!まあそれも才能だろうが、好かん。
この前向きな、というのには、それら我輩の嫌いが全部凝縮されているような気がするのだ。
明るく元気に高め合うような奴ら、つまり意識高い系…。
もしくは意識高くガッツリ戦闘モードな人。
そんな、実際には腹にどす黒くぐるぐるしたもんを抱えて、
闘争心をひた隠しにし、いかにも仲良くしましょうと言いながら、
明るく害のない輝く人間を演じるのは、さすがに無理だ。
我輩は人間味を失くし、なりたくないものになってまで何を得ようとしているのだ。
何に媚びてどこに行こうとしているのだ。
そもそも、このつぶやきという独白ツールに
なぜ我輩の言動は縛られなくてはならないのだ?
年中、
「がんばるお!」
「たのしいお!」
「今日も元気だお!」
「みんなすごいお!」
そう言えと?
つか前向きな独白って何?
とまあ、
ホントなんだよまじで意味わかんねーわ、と不服だった我輩は、
それでもならばと、出来る限りの前向きを意識した。
例えば、
なるべく控えめに、
悪態はつかず、
それなりに明るく、
と、そういったことだ。
そうしていたら…
結果、つぶやくことが無くなった。
本当に何もかもが削がれたのだ。
これ言っちゃマズいかな、とか
あれダメだったかな、とか、
これは言葉が乱暴すぎたかな、とか
別に誰に向けて言っているわけでもないつぶやきに対して、いちいち気にするようになっていった結果本当に何も言うことが無くなった。言えなくなった。
言いたいことも言えないこんな世の中じゃポイズンである。
我輩はやめた。
我輩は、
好きなイラストレーター、画家、バンド、歌手、ゲーム会社のアカウントをフォローしまくった。
そしていかにもフォローバックしてください、みたいな感じでフォローしてくる奴らは、無視した(本当に彼らのつぶやきに興味がなかった)。そしてフォローは解除された。多分こいつフォロバするやろ、と舐められてると思う。実際我輩もそうだったし、まあみんなそんな動機でフォローするんだろう。
だがもはや、我輩は無敵。
FF比率?知ったこっちゃないね!
好きなものを見てこそ気持ちは安定するのだ、そうして何かを得るのだ(得るってのは良い感情も含めての事だ)。
今我輩は、
人間味のあるアカウントと、始めたてになんとはなしにフォローされたからフォローしといた程度だけど普通に穏やかなアカウントいくつかと、
2つばかりの、フォロバ狙いだったかと思われるアカウントと、
なんだかんだ相互フォローの関係になっている。
本当にクッソどうでもいいアカウントはこれでもさよならをした。
FF比率はフォローされづらいとされる、フォローが多すぎの
フォロー2:1フォロワー
好きなもので溢れているのだ。
そしてもはやもう一つのアカウントと区別がつかないほどまでに、
誰にともなく自由な発言をしている。
きっとハウツー伝授者からすればクソ垢だ。
それでも心は安定しているし、
人の顔色窺うなんてクソ喰らえ!と徐々に切り替えていっている(が、さすがに気を悪くされたら申し訳ないのでそのツイッターアカウントとこのブログは現時点では連動していない、そこまで我輩は図太くないのだ)
で、それじゃあお前の創作してどうのこうの知名度がうんたらという
承認欲求はどこで消化させてるの?
と思われるだろう。
そんなんそもそもTwitterでやることじゃなかったってこった。
イラストはpixivで主に投稿、これは実際普通に気持ちも穏やかに揺さぶられることなく続いている。
文はそれなりの場所へ最近投稿(なろうとか、なろう系を書かないから読者はいない、そんなの知らん)。
あとは自分のペースでできる創作関連物を置くブログも作ろうと、ちまちまいじっているところだ。
世のツイッターハウツーを取り入れるには、絶対的に性格上合わない人間もいる。だから我輩と同じような諸君へ告げる。
無理をするのは別に構わないが、その削ってる精神、もっとほかへ良い方へ持っていくことができるかもしれない。
我輩は無理をして気づいた、無理なもんは無理、いや…
やりたくないもんはやりたくない!
そのとき視野を広げてみたほうがいい、他にもやりようあるんじゃね?と。
調べるのだ。
まあ実績がないので、成功例を示すことができないのが悲しいところだし、負け犬の遠吠えと言われてしまえばそれまでだ。
それでも我輩の精神は今自由なのだ。