⚠警告⚠この記事は、オリジナルのキャラクターを「うちの子♡」と表現している作者に対してひたすら嫌悪を示すだけの内容である。不快になりそうな諸君はこの先に目を通さないことをおすすめする。
ようこそ諸君、我輩はボロボロ皇帝。
注意書きはしているので大丈夫だな?この時点で全員ブラウザバックしていようと、我輩はこの思いを、吐く。
我輩は、何かしら書いたり描いたりする事を好む。いわゆる創作系のことをしている。
そもそも、創作、という表現が実は苦手である(創作界隈と言ってるのもちょっと自分でキモい)。
だがこれに関しては他に言い方が無いし、創作と言うしか無いので使っている(語彙力の乏しさかもしれん)。
趣味で絵描いてます、とか、趣味で小説書いてます、だと長いし、そもそも趣味で書いてる奴もれなく「願うならそれで食っていきたい」と考えている説あるし、我輩も哀れにもそういう奴なので「趣味で」という表現をしてしまったが最後、マジで趣味止まりになりそうで怖い、ってのもあって趣味でとは言いたくない。
だからといってアマチュアとも言いづらい。アマまで達してないだろ、と自分で思っているからだ。
というわけで、我輩は創作という言葉をかゆい気持ちになりながら使っている最高に面倒な奴なのだが(ちなみに創作に物がついた創作物だと痒さが無くなる自分でもよくわからん)、
そんな創作界隈で男女問わず、割と使ってる奴が多いのが、この、
「うちの子」という表現である。
うちの子 とは:己の作品(小説・絵問わず)に登場する己が作ったキャラクター、登場人物。
こういうことを言ってしまったらもしかすれば、創作物作成しているヤツ失格となるのだろうか。まあそんなことは知らんが。
知らんが、とにかく。
この「うちの子」って表現キモ過ぎんだろ!!!!!
どういう気持ちで、うちの子と言っているのだ?
虫唾が走らないのか?
イタすぎて。
創作キャラはまあまだ大丈夫だ(創作というのが痒いが)。
自作キャラも(自キャラはなんか気持ち悪いが)ギリ大丈夫である。
オリジナルキャラクターも問題ない(オリキャラはなんか痒い)。
一体何が正解なのか分からないが、うちの子はイタすぎだろ!!!
何がこんなに気持ち悪いのか、ほとんど本能なので説明がつかないが、説明がつかないなりに己の中のこの嫌悪感と向き合って分析してみることにした*1。
・ソイツはお前の「子」なのか問題
第一に感じるのはこれである。
例えばハリー・ポッターはJ・K・ローリングの「子」ではないと我輩は思っている。
確かに彼女が生み出した世界、その中で生きる彼は見ようによっては子であるが、我輩からすればその世界と彼は彼女から生み出されたその瞬間から、彼女(ローリング)の手を離れ回り始めている、そう、確実にハリー・ポッターはリリー・ポッターとジェームズ・ポッターの子であって、J・K・ローリングの子ではないのだ。彼女の所有物では無い。正確には彼女が回しているのであろうが、我輩がその世界を見たとき、彼女の姿はそこには見えない。ならば回っているのだ。独立した世界として。
それはハリー・ポッターが世界的な作品だからでは無い。そうでなくとも、である。生みの親は親バカであってはならない。世界も彼らも自立するものだ。
これでJ・K・ローリングが私の子よ♡なんて言って介入してしまったら、世界は終わる(萎える)。実際そんなことを言ってるか言ってないかは知らないが、恐らく、9割9分、言ってないだろう。
念のために調べようとしたが、英語で「うちの子」に該当する表現が出てこなかった。せいぜいOwn Character(自分のキャラクター)であるが、これは「うちの子」という表現とは違う。うちの子はMy Child、もしくはOwn Childだ。ちなみにMy Child、Own Childなどと言っている英語圏の人間は本物の子の親しか見当たらない。
・まるでお人形遊び、ごっこ遊びな感じ
これら上記のことから感じるのは、ごっこ遊び的な空気感である。またはアイドルファン、ジャニーズファンである(偏見)。そういえば推しという言葉も苦手な気がしてきた…があれは推ししか勝たんとかいうキモい言葉が出てきたせいであるな。担当とかいうのもあるらしいがあれは至上最強のキモさでうちの子を凌駕しているので比較しないでおこう。総じて〇〇ファンという表現だけにしてほしい限りである。
話は逸れたが、この「うちの子」という表現にはキャラ性ではなく作者の強い所有欲と自己主張を感じるのである。
分かる、分かるぞお前の作ったキャラってことは、うちの子と言わずとも。我が著作物です、我が創作物です、我が作品です。これらで十分だ。
それをあえて、主張するように、うちの子と表現するこの感じからは、作者のキャラに対する依存度がひしひし伝わり、キャラ自体を感ずる事はまず無理であり、まるでお人形と化したキャラクターが作者に操られている、という構図を強烈にイメージしてしまうのだ。
・キャラの後ろに見える作者の濃い陰=保護者
ほぼ人形と化しているキャラクター。それを操る作者の図。
ある種のメタフィクション感である。まあ、そのメタさがメタいがタメに問題だというわけではない。
問題なのは、
キャラのキャラ性を阻むその存在(作者)からキャラ自体を切り離すことは難しくなってしまい、キャラを見つめるたびに、キャラを愛でる作者が見えることだ。
キャラクターへとぴったりと張り付き、濃い影となったその作者の姿は、まるで過保護な保護者である。※過保護な保護者というのは現実世界でも面倒で正直関わりたくはない(モンペア予備軍的要素がある)*2。
そんな過保護で過干渉に溺愛するかのように、うちの子♡うちの子♡と言う様。
他所など見えていないように、恥も外聞もなく盲目的に愛するその姿。
だが、その愛する対象は自分が生み出したキャラ、ある意味では己の一部のようなものである。
・もう完全にカスタムオーダー型ダッ◯ワイフでの露出見せつけオ○ニー
である。
別にオ○ニーがいけないわけではない。恥じらいながらやってくれる分には良いし、オ○ニー的なことは問題ない。
でもわざわざなぜ、
ダ○チワイフとのイチャコラな様を堂々見せつけられなくてはならないのか。
そんなもの見たくはない。
とまあダ○チワイフの件は2割冗談*3だが、
このように、過保護な盲愛によって客観性を失った状態は、キャラ性・世界観ともにその魅力を半減させる、と我輩は思うし、作品へと介入した作者の存在は、読み手や見手から純粋な体験を奪いかねない。
世界に作者の介入は不要なのだ。
総じてただただイタいしキモい。
ついでに、我輩は単純に過干渉な親というものが嫌いでもあった。
だから、もう、とにかく、
「うちの子」と言うのはやめろ!!!!
※百歩譲って、うちの子という表現を広めず、ダ○チサークル的にうちの子サークル作ってくれ。そしたら内内でやってることに外野の分際で何も言わない。
*1:それに、そうで無いとただの文句である。まあ本来ただの文句なのだが。それでも文句が出ると言うことは理由があるはずである。うちの子と言う人が減ってほしいとすら感じているので、できる限り説明が付いた方が有利でもある。
*2:自立していないガチの子(現実の自分の子ども)に対するうちの子表現と過保護な親を結びつけているわけではない。なぜならそれはマジモンのうちの子であり、うちの子と言うに相応しいから。ただし言い方、時と場合によって過保護化する(特に小さい時期は過保護になるのも当然なので該当しない)。自立すべきキャラの自立を阻む干渉っぷりが伺えるうちの子表現と、この世の過干渉過保護親を結びつけているだけである。誤解無きよう。
*3:「別にダッチワイフオナニー見せられても場合によっては興奮するかもしれない」の意