※最近こんな話題ばっかだが、こういうのが好きなんで許してくれ。
先日、こんな面白い記事を発見した。
damien hirst destroys 1,000 physical artworks of ‘the currency’ in front of NFT buyers
訳:ダミアン・ハースト、NFTのバイヤーの前で「the currency」の現物作品1,000点を破壊。
実際には美術手帖というサイトの日本語転載記事を見て知ったのだが、そこでは有料記事扱いになっており最後まで読めなかったので、いやこれ海外の話だし海外記事あるはずだよな、と思って調べたら出てきた、といったところ。
内容をざっくり説明すると、
ダミアン・ハーストというアーティストによる、物理アートとデジタルアートの価値を競わせる長期企画「The Currency」の一環で、物理アートを1000点燃やしたった、というものである。
企画概要を知らんと何がなんだか分からんので、そこもざっくり説明。
ダミアン氏はまず一年前に、一面が色とりどりのランダムなドットのみで覆い尽くされた作品(草間彌生よりポップでランダム的な※普段からその画風ではない)を10000点手作業で描いた。すべて手書きで配置や色に規則性は無いので同じような作品だがそれぞれ違う。
そしてそこにホログラムと更に細かいドット、サイン、それぞれ全部に違う手書きメッセージを記して完成させた(ちなみに手書きメッセージはお気に入りの歌詞の一部を機械学習させて埋め込んだものらしい)。要はそれらが偽造防止であり作品識別のような役割になっている。つまりCurrency(貨幣)を模しているのである。
それをNFT化し販売。物理は彼がそのまま保管。NFT購入者へは、一年後に物理を所有しNFTを放棄するか、NFTを所有し物理を放棄するか、選ぶ権利が与えられ、どちらもを所有はできない。どっちにしろどっちかがBurn(焼却)である。それが物理かデータか、といった話だ。
そしてその一年後が今。
一体NFT購入者であるコレクター達は、物理とNFTのどちらを選んだのか?!
といったものが概要だな。
内容を知ると、物理で燃やしたのが10000中1000点(´・ω・`)?少なくね(´・ω・`)?と思うが、今回は一部の実施。
実際にはほぼ半々で、物理所有を求めた数のほうがやや多く5149人、一方NFT所有を希望した者が4851人と、なっている。焼却作業は10月末まで続くようだ。
にしても、少ない方の価値が多い方よりも増すやろ、とも思ったが、全員が決めるまで数値を出さないのがキモだったんだろう。
ほとんど真っ二つに分かれた所有状況。
価値に答えはないがこういう問題提起的な企画を見ると楽しくなるもんだ。
この先は、この企画を見ての個人的な意見、思想だが、
やはり物理の方が後々価値は上がると思っている。以前から言っているように、我輩はなんだかんだ物理至上主義者なのでな。
と言っても数年単位ではなくせめて二桁年以上だな。※無知なもんで、このアーティストの価値を我輩は知らんのだが、多分凄いんやな、とみて。
物理と引き換えにNFTを放棄したコレクターは、消失というリスクを取ったのだ。
まあもちろんデータだって失われる可能性はあるが(ハッキングやバグなど)、物理よりも低リスクである。
だが物理はただそこに置いているだけで、ゆっくりと、だが刻々と終わりへと向かっていく。酸化等といった経年劣化はもちろん、所有者の環境にもよって、形を留めていられるかといった危うさが常に付き纏う。焼却せずとも勝手に失われるリスクがある。その点がNFTとの大きな違いだ。
その寿命は有限なのだ。データよりも限りなく生命に近い。
人々が生命活動において物理を完全に放棄する未来が来ない限り(つまり意識の完全仮想世界移住が起きない限り)、その儚さに人はロマンを見出すし、ダイヤの価値が落ちない限り、希少性における価値を人は見出し続けるのである。
古いもんほど価値が上がるのは、こんなにも長い時を経て現代までよくご無事で、の意だ。形を残す、奇跡なのである。
諸行無常に思いを馳せ、風化を愛おしむ人間の感性が、物理を求めるのだ。
というわけで、個人的にはどう考えても、物理所有だろと思っている。
短期で売買する予定の人なら、恐らくはNFTのほうが便利だろうけどな。