本日は仕事がつまらなかった。
いや実は昨日もつまらなかった。
起きた瞬間から、もう嫌だ、休みたい(眠い)という気持ちでいっぱいだった。が、まあ誰しもこのような気持ちになることはあるだろう。仕事とは、そういうものである。
加えてちょっと忙しかったので、案の定咳がぶり返しかけている。これは病院に行くべきなのか。悩んでいるところだ。行くなら明日だな。明日は休みなので。
話は変わるが、そういや、我が課のパート・バイトの時給が上がることになった。来月頃からである。
あまりにも人が足りない、そして人が来ない、入ってもすぐ辞める、派遣も辞めるといった状況を改善するため、所長が本社と掛け合ってくれたわけだな。
しかも100円UPである。これは結構デカい。
いい事だ。これできっと人が来るかもしれない。だが、人が来たら来たで、今度は閑散期に溢れた人員をどう使うか(仕事を与えるか)で上が悩みだしているので非常に嫌である。せめて我輩だけでも閑散期遊ばせてくれ。静かにしてるからいいだろう(閑散期になると我が課のパート社員はそこそこお喋りがうるさい。やめろ目立つな、と思うが、よっぽどじゃないと注意しない我輩も悪い)。
でまあ、時給が上がりきっとみんな喜ぶだろう、我輩もちょっと嬉しい。
嬉しいが…
我輩にも何か手当つけろや。
これを言うと、いや正社員は管理職になるのが前提だからうんたら〜管理職試験受けたら〜といった話にすり替わってしまうのを、以前身をもって知ったので、言えない。
言えないが不満だ。
とても不満である。
仕事はつまらない。
日々つまらなくなってゆく。
※そう思う度に学生時代を思い出し、あの頃辛かっただろ、という苦痛の記憶を糧に今のほうが断然いいと脳みそに言い聞かせていたし、実際そうだったが、最近徐々にそのやり口が通用しなくなってきている。まあでも若かったし…とかほんのちょっと感じてしまうのだ。これが年を取るということなのか…?はたまた思い出せていないだけか(多分こっちの方が割合デカイ)。嫌な思い出が褪せていっていると考えれば、それは別に悪くないことなんだろうが。
ちなみに我輩独自の気力を振り絞る過去比較療法では、
昇りかけの朝陽で白んだ空に、起きるのが嫌すぎてガチで涙出そうになったあの日々を思い出せ(学校も嫌だったが、それ以上に眠すぎて起きるのが苦痛だった)。あんなバカみたいに朝早く起きて行ってもなんの金にもならんかったな、クソだったな。自由もなければあるのは妙なボッチ感のみ。
今は起きる時間も最適、昼出勤で最高だ。そこそこ己の地位も築いてきた。
労働対価として金もらって自由を買えてネットという娯楽が常にある、好きな曲を聞き好き勝手歌いながら運転できる、知識は100倍に増えた(誇張)し、思考力も多分上がった。時間は無いがあの頃も大して無かった(塾行ってたとかでは無い)。いろんなものに縛られていた昔に比べりゃ断然マシな環境の良さを噛み締めるのだ!
…みたいなことを思い出したり今の環境のいい部分を脳内で挙げてみたりしている。
と、こんな感じで、この比較が良いのか悪いのか(上を見ず下を見る=成長しない説からすればあんまよくないだろうが)、分からんが精神的にはだいぶ良くなる。
そして今、前も書いたことある気するな…と思いつつも改めて文字にすることで、まあやっぱ高校時代より全然いいわ、と思えたのでよしとしよう。