本日は休みだ。
起きたのは13時。そこから何をしていたかは問うでない(どうせなにもしていない)。
こちらは写実画家諏訪敦氏の画集どうせなにもみえない↓
でまあ表題の件。我輩は今ラーメンを食いたい。
別に外でお高いラーメン食うってんではない。うまかっちゃんだ。うまかっちゃんを食べたい。
うまかっちゃん、諸君は知っているだろうか?なんか売ってない地域もあるって聞いたことあるんだが。
うまかっちゃんは美味いぞ。麺はただの普通のインスタント麺だが(あの縮れた麺のやつ)、とにかくスープが美味い。博多華丸大吉が(多分)CMしてたインスタントのとんこつラーメンだ。5袋入り。
だが、無かった。どうしても食べたいし、上でうまかっちゃんの事と書いてるうちに食うボルテージ上げすぎて、もはや食う気満々だったのに。5袋食いきってしまってたようだ…。
嗚呼、ラーメンを食べたい…
ちなみに、〜を食べたい、と、〜が食べたい。なにか食べたいと言うとき、この2つの表現方法がある。
この2つの違いについて、我輩は結構前から気になっていて、ちょうど気が向いたんで調べてみることにした。
結果としては、どっちでもいい。らしい。
ちなみに個人的に正しいのは「を」かと思っていた(がも使うが)。
理由としては、〜が食べたい、例えば、魚が食べたい、だとすると「魚が」と「食べたい」の間にどうしても「プランクトン」が見えるのだ。
魚がプランクトンを食べたい(と訴えている)のではないかと。
つまり、主語を魚とし、この食べたいの意思は魚のものと思えるわけである。
※当然だが、勘違いするってわけではない。単純に文法的な違和感の話だ。
だがこの、魚が食べたい、とする場合、実際には主語は隠れているわけである。私は魚が食べたい、といったふうに。まあそれでも私は魚を食べたい、の方がスッキリするだけどな。
だが、実際には、〜が○○たいの方が古い歴史を持つらしい。
で、「を」は英文法の影響を受けてるんだと(これは色々調べたらちょいちょい言われていたのでおそらく間違い無いんだろう)。
つまり我輩の考えはアメリカかぶれだったのかもしれん。
というわけで、ラーメンを食いたくてラーメンが食いたい我輩は、うまかっちゃんは食えないが、サッポロ味噌ラーメンがあったので、それでも食うか、はたまたどうするか、悩んでみることにする。