今週のお題「秋の歌」を見て、
秋の歌で一等いい歌はちいさい秋みつけたに決まっとるじゃろがい!!
と思ったので、ちいさい秋みつけたについて書かせてもらおう。
ちなみに、ちいさい秋みつけたを知らんという諸君はいるだろうか?
いるかいないかは知らんが、とにかく非常にいいのでまずは聴いてくれ。
あゝ…
しゅき…。
これは理屈じゃねぇ。魂が震える。マジでよい。詩と曲がここまでマッチしているのは本当に凄い。曲と詩が同時に秋のひんやりした風の中から湧き出たんじゃないか、っつうぐらいマッチしている。
ちなみに同時に湧き出たなんて事はもちろん無く、作詞と作曲はそれぞれ別々の人だ。
作詞家サトウハチロー氏は、桃の節句ひなまつりの歌の作詞もしている(うれしいひなまつりが曲名と今知った)。
作曲の中田喜直氏はめだかの学校の作曲も手がけているようだが、詩に合わせて曲調ここまで変えられるのスゲーな。
そんな彼だからか、君が代の、曲に歌詞を無理矢理あてはめた感をキモいと批判していたらしい。
【日の丸・君が代の呪縛再考シリーズ13】作曲家・中田喜直さんがクレーム - 日の丸・君が代
ちょっと笑ったが、まあ本来彼が言いたいことは、
この個人ブログに載っている全文を読んだ方がわかりやすいのだが。
君が代や国旗(日の丸)の政治的問題について意見を述べてくれいということで参考人として呼ばれたらしく、ざっくり言うと、
歌詞どうのこうのの政治的問題以前に、音楽的な話として曲に詩が合ってない。歌無しのオケやブラバンなら曲としては上出来だし和洋折衷感美しいハーモニーだが、問題は詩の方。政治的な意味合いはさておき、とにかく歌曲として成立させるために詩を変えてしまおう。そしたら現在の君が代歌詞、賛成派も反対派も、賛成派は曲がのこるでしょ?反対派は歌詞が変わるでしょ?それで半分こ、お互い妥協しましょうや。
という締めくくりになっている。なんか感動した。※この個人ブログの引用が残っていなければ、ソースの記事が消えていたので、読めなかっただろう。ネット社会でも消えていくもんはあるんだな。
余談はさておき、このちいさい秋みつけたって結構新しいんだよな(1955年発表を新しいとするか古いとするかはなんとも言えんが、個人的には新しいな!と思ったのを覚えている)。
聴いた当初(小学生ぐらいの頃)、歌詞の目隠し鬼さん手の鳴る方へにゾッとして(良い意味で)、勝手にかごめかごめ同様の、いわゆるわらべ歌ぐらい古く、いわくつきだったりするんかと思ったがそんなことはなかった。
※わらべ歌と童謡の違い:わらべ歌は主に子どもが遊びの中で口ずさみどんどん広がった感じの自然発生型(そのため作詞作曲家不詳パターンが多い)、童謡は大人が子ども向けにつくったやつ、らしい。
たしかにそうだよな。
よく聴けば歌詞の中にミルクっつう単語も出てくれば、曲が洗練されているように感じる。古さが無い。
このちいさい秋みつけたの歌詞に関する考察・解説等は、
↑こちら2つで丁寧に細かく書かれているので気になったら読んでみてくれ。
※上の方が見やすいが、下の方がいちいち重みを感じてグッとくるかもしれん。
リンク先の内容をざっくりまとめると、この歌詞は、作詞家サトウハチロー氏の幼き日の思い出等が織り交ぜられたもんで、誰かさんはサトウハチロー説が有力、ということになる。
幼少期の思い出がなんでこんなもの悲しい歌を生むんだ…と思うかも知れない。
なんせ、うつろな目、である。
すましたお耳に微かにしみたのあたりも、隙間風のことを言っている辺りも、もうどこをとってもおセンチな秋である。ちいさい秋、ってところで既におセンチ。
※曲も相まってそう聞こえるんだろうと言われそうなので補足すると、作曲家の中田氏は歌詞に合った曲を、ということを第一に考えていそうなので(君が代の発言等を見ると)、彼の感性と才能でこの歌詞から聞こえてきた曲を紡いだはず、すなわち曲が大袈裟なのでは無く、マジでちいさきおセンチ秋なのだこれは。
ハチロー氏が描くちいさい秋が、こうももの悲しく切ない理由は、実際に彼の幼少期の記憶がもの悲しく切ないモノだったから、となる。
細かいところは上のリンクを読んでもらえればと思うが、
彼は3歳の頃大やけどを負っており、それが生涯の後遺症となってしまっていたらしい。
そのため身体的にも同じ年頃の子ども達と外で遊ぶ、ということが出来ず、
外で遊ぶ子どもたちの声(めかくし鬼)を羨ましく感じながらモズの声を家の中で聞いたり、
北側の曇りガラスの部屋でうつろな目(曇りガラスからの差し込む日が反射してうつろになったんかもしらんが)で、ミルク飲みながら隙間から入り込んだ秋風を感じたり、
記憶の中の風見鶏(彼の母がキリスト教徒だったらしく教会の風見鶏説)のトサカにのったハゼの葉と、現在に見るハゼの木(彼が作詞当時住んでいた家の庭にハゼの木があったらしい)とを重ね合わせるなどなど、ほのかな秋に触れると同時にあの幼き日の記憶が蘇ったのだろうということが感じられる。
せ…
切ない…。
この、ちいさい秋みつけた、を聞いて頭の中に描かれるイメージは、毎度、目隠しした鬼が幼女に「こっちこっち♪」とクスクス笑われながら弄ばれてる姿が主だったが*1、改めて背景を知り、病床の少年が抱える孤独感と、大人になった彼の姿を思い描いてみると、あゝ、もっとしゅき…となるのである。
※目隠し鬼と幼女は脳みその別の部屋に分けておいている。たまには思い出したいので。
*1:性癖のせいなのね。