昨日こちらの記事↓
AIがSNSに導入されまくる未来で人類終わり(一部脚色)、という記事を読んでのこと(公式なのになんか日本語訳は変だったが)。
記事によれば、最近LinkedInがAIを導入し、AIにコンテンツ生成させるから人間共は楽しく反応しろよ(^o^)と言ってるらしい。しかも議論させたがってるとか*1。怖っ。(あと全然関係ないがLinkedInの読みはリンクトインらしい。ずっとリンクドインだと思ってたわ)
既にSNS上ではユーザーがフォローしているアカウントの特性なんかをAIアルゴリズムで分析し、あなたにおすすめのアカウント、とか言ってフォロー中の垢と似た属性のアカウントを表示してくることも珍しくない。つまり興味関心ごとを完全掌握されている状態で、更にそんなやつ(AI)が架空のコンテンツ*2を生成しまくるとなると、高確率で食いつくものをとめどなく提供で、ターゲットを狙い撃ち状態。もはや、ソーシャルとは、だ。
記事中の筆者は、人間のふりしたAIボットアカウントに囲まれるのは普通に嫌だわ、と言っており(そりゃそうだ)、結局広告等へ長く注意を引きつけるための戦略でしかないこれに早々に気づかねば人類終わるぞと、警鐘を鳴らしている感じで締め括っていた。
要はAI主導時代の幕開けである。
記事を読みながら、人間を巧妙にコントロールするAIと時間も思考も金も吸われる人間という対の構図と、その関係性で完結するなんとも奇妙な空間を想像した。
結局広告、といってるように、最もラクに人々へ消費させる手法が、AI活用に至る動力であるのは分かる。
AIは間違える。そんなのは構わない。人間だって間違うことはあるわけで、それならば人間の敵わぬスピードで数をこなせるAIの方がいいじゃないか。その速さの分、何度でも挑めるだろう。打たなきゃ打率は上がらない。
ってな感じで、人件費削減しながら取り入れるのかもな。知らんが。
そしてこういったことがSNSで起きるのは、SNSという場が、多くの人々が集まるプラットフォームである以上必然であることもわかる。人の動きが金を生むわけだし。
だが、普通に気持ち悪い世界である。
※ちなみにSNSに導入されたAIの間違い、というか失敗コンテンツは炎上系を想定しているが、人間を感情的に動かすことで起きる炎上は、感情の高まりで動く分、最も注目を集めやすくある意味一番の宣伝法でもあるんで失敗とも言えないのか。
…というか、よくよく考えたらAI製の炎上系SNS垢とかすぐ出てきそうだな。もしかしたらもうあるかもしれん。メンタルの無いAIに炎上させたら痛くも痒くも無いんで、非常に都合よく炎上させられそうだぞ。
正直、今時点で色々AIを使ってみて思うのは、事務的用途や消耗娯楽以外での活用はやっぱ無い(エロ画像生成は半分事務みたいなもん)。
コンテンツに関しては特に、あくまで代替の効くものを手っ取り早く生み出し使ったら捨てる感覚だな。つまり使い捨て用だ。ティッシュの下位互換みたいな感覚(ティッシュは必需品だが、AIはまだ個人的に無くてはならないレベルに達しておらず、それでもあると便利なので)。まだ、心に残しておきたい大事な物には成り得ない。だが使い捨てとしては秀逸。だから使うのだ(エロ文生成とかエロ画像生成に)。アフィ用に乱立したあっちもこっちも同じこと書いてるねーといったサイトみたいなもん。
だが、精度が高まるごとに、AIの人間を模倣した生成物は確かに増えるんだろう。その時どうなるのか。
場合によっては全てがAI製コンテンツと化し、まるで作られた夢の中に1人いる、もしくは常に中身のない幻影を見聞きしているなんてことも起きるかもしれない*3。
類似状況のSF映画などを見て抱く感情からするに、これを人類は望んでいないはずだが。
まず、人間はバラエティのヤラセによくキレる。
ヤラセとは人工的に作られた物をあたかも天然物かのように見せることだが(またはフィクションをドキュメンタリーとする虚偽、不正)、それが発覚したらまあ面白くはないだろう。個人的には大して嫌な思いをしたことはないが、ヤラセっぽかったら見ないもんな。作り物と天然物はやっぱ違うのである。
言ってしまえば気分が良くない。
誰が作ったのか、中身がどうとか関係ないと言う人間もいるが、あるやろ、って話だ。そうでなかったらヤラセは許容されていて然るべきだ。だがこれまで許容されたヤラセを見たことがない。
感動し真剣に受け止めていたものが、実は存在しなかった事実として見れば、ヤラセもAIも同等である(当然だが補助ツールとしてのみ使う場合は除く*4。)
何が嫌なのか、結局これは感情論なんだろう。そもそも感情が動くコンテンツに対して、感情論にならない理由は無いと言える。
我々の感情が動くのは、その先に同じ熱を持つ生命の動きを感じるからである。
わかりやすく言えば、受け手と送り手、受信者と発信者、何でもいいが、送受の関係性の中で同じ熱量をコンテンツ越しに感じるときに心が揺れるのだ。映画でもそうだ。ストーリーだけでない、作り手の熱をも感じるもんである。
AIにもヤラセにもそれは感じない。感じるのは、こちとら真剣だったのにもしかしてバカにしとる?という不快である。
つまり、そういったコンテンツにおいて重要なのは表面ではなく中身だ。
ここで、知らなければ同じ論者が出てくることは分かる。こいつ等はヤラセを許容しているべきだが、それ以前に結果として同じか事実として嫌かは全く無関係であるし、Back numberのLiarでも聞いてろ。
そんなわけなので、事務処理系、消耗娯楽系、そういったもん以外のコンテンツ、ましてやAI利用で人間同士での議論を巻き起こそうなんぞ、卑しすぎるし意地汚いし、ゴミは要らねえんだ、という信念のもと、我輩は熱をもってここに居続けよう。
(まあLinkedInのAI製コンテンツ実際に見たわけじゃないしLinkedInはビジネス特化SNSなんで、全然想像と違う有意義コンテンツになってるのかもしれんが、未来を憂いて嫌やな、ってことだ。きのこたけのこ論争くらいのただのテーマ提供なら別に良い)
*1:反応をもとにAIの精度を上げたいんだろう。
*2:AIに体験というものができずAIが意識を持たない存在である限り、コンテンツは架空の域を出ないと個人的には思っている。
*3:また、これが進むと、コンテンツ閲覧が興味関心ごとのみへ傾倒するため、個々人の思考は強烈に偏り固着し、人間同士の繋がりは一層弱く薄くなっていくと思われる。
*4:テーマ構成〜全文をランダムにAIに任せるのは当然アウトだし、補助はギリ構成を組み立てさせるまで、本音を言えば人間製コンテンツの修正くらいしか無いわ、とは思っている。8割は人間が作ってるべき。なぜならば人間がほぼ介入していないコンテンツは見たくないからだ。どんなに構成が良く、上手い文章でなめらかでも。