我輩が高校2年の頃のこと。
我輩は文化系の部活に入っていた。
これは我輩がその部活動の一環で書いた詩である。
とりあえず何も言わずに、さあ読むのだ。
そうだな、厨二だな。
ようこそ諸君、我輩はボロボロ皇帝。
こう、詩を晒すことに若干の恥はあるが、この記事でもお伝えしたように、我輩は己の作り出した物に対する黒歴史耐性が強い。現在も黒歴史濃度は1ぐらいだ*1。
例えばこの詩なんか、厨二度数高めであるが、我輩は素でこの状態だったし何なら今もほとんど変わっていないので、改めて読み返してみても「"戯れ言"はやりすぎだろ」とは感じるにしても、「"ただ、救いがほしい"は微妙だな。シンプルに"気づかぬふりして ひととなれ"でも良かったかもな」と思っちゃうくらいには厨二魂は健在だ。まあ一応ちょっと恥ずかしいので今は頭痛がしている*2。
ちなみにわざわざ写真で載せているのは、当時の臨場感を味わってもらいたく、というのは後付け理由で、万が一の保険というのが本当の理由である*3。
この詩は、当時その部活での県の大会だったかコンクールだったかの何かで出したものである。とりあえず出せばこの文集に載る。そして載った作品の品評的なことをするために市の会館みたいなところへ、各校のその部活に所属している生徒が集まるのだ。
正式名称は忘れたが、前述の通り品評的なことをするので品評会としておこう。
これはそんな品評会での思い出話である。
※ちなみに色んな事が曖昧なので「みたいな」や「のような」などの言葉を多用している。ご容赦を。
その日、品評会の会場である市民会館へ到着した我輩。
その市は通っていた高校から結構遠かったような記憶がある。あと、この市はマジで何も無い場所だった。寂れすぎてほぼ廃墟と化している大型スーパーのような建物が有り、その建物内で唯一ダイソーだけ生きていたのは覚えている。ダイソーは強い。きっと世界滅亡寸前でもダイソーだけはイカと共に生存しているだろう(最終的に地球を支配するのは巨大イカだとか言う話をずいぶん前にテレビで見た。)。
開会式のようなものに参加したようなしてないような、記憶は曖昧だが、まあ何かしただろう。しないことはないはずなので。
その後に生徒は、散文部門、詩部門、短歌部門、俳句部門などの各部門にそれぞれ分かれ、部門ごとの会館内開催場所へと向かう。
そこは広い会議室のような場所であり、会議で使われてそうなこんな感じの↓
というかまさしくこれだが、この長い折りたたみテーブルが、
このような感じで↓
並べられており、その外周側に折りたたみ椅子があった。そこへ座る生徒と、講師。
講師は図で言うと右側にいたはずで、我輩は手前側右寄りの席に座ったのだが、何の順番で腰掛けたかは忘れている。もしかしたら文集への詩の掲載順だったか、各校ごとだったか、まあ忘れた*4。
詩部門に参加している同じ高校のメンバーは我輩ともう一人K氏だったと思う(文集見たら後輩もいたっぽい)。それ以外は全員他校生。何校集まっていたかは不明だが該当の部活がある県内の高校は全校集まっていただろう。
まあ品評会であるから、各詩の品評が行われるわけだ。そして各校生徒も意見やら何やら述べる。主旨は恐らく、色んな作品に触れ様々な視点からの意見をもらうことで刺激を得て、感性に磨きをかけていきましょう、といったところだろうか。我輩はそういうのは好きでは無かったが(好きなヤツ逆にいるのか疑問だが)、一応部活動であるし仕方が無い。
というわけで品評会がさっそく始まり、順が回ってきて我輩の詩が品評される番となった。
どういう感じだったか、色々忘れすぎている。
忘れているのだが、我輩が座っている席の3,4つほど左隣の席に座っていた他校生の一学年下らしき爽やか草食っぽい少年の事は覚えている。
彼は我輩の詩に、こう言ったのだ。
「僕は、そうじゃないと思うんです」
我輩の頭の中は「???」である。
何だって!異議申し立てられるなんて思ってなかったぞ!という状態だ。
彼の言葉をハッキリと覚えているのはここまでだ。
曖昧に記憶している部分だと、彼曰く、人間はそんな道徳や知性で着飾っているだけのそんな悲しいもんじゃない、とのことらしかった。
そのとき我輩が何と答えたか、マジで覚えていない。だが確実に言えるのは、この意見の相違で我輩は彼と戦いはしなかったということだ。ものすごく無難な言葉を述べて終わったように思う。
我輩は先に述べたようにこういうのが好きじゃない。こう、品評、批評、そういったものが苦手なのだ。
意見を言うこと自体は特に苦手じゃないが、詩という、読み手次第で受け取り方が異なってくるだろう曖昧な哲学的なものを、己の内側をちょっとカッコつけて連ねるような作品を、どう説明すればいいのか。しかもいきなりツッコまれた状態から切り返すように、短い時間で簡潔にである。無理だ。準備が無いと雑で汚い言葉が出そうになるし、あがり症だから声が震えかねない。色々マズい(それこそ恥によって濃い黒歴史が刻まれる)。
それにそんな解説、要るのだろうか。読んで感じたままでいいような気がする。見て感じたまま、そういうものでいいような。何も思われなかったら最悪だが。
なるほど!
今打ってて気づいたが、それであればこの詩は作品として失敗では無いのかもしれない。
恐らく、爽やか少年はちょっと不快になったのだと思うが(厨二文過ぎて)、何も感想を抱かれない、ということだけは回避できたのだ!素晴らしい!
ちなみに、今改めて、我輩の詩は浮いていたのだろうか?と思い文集の全体を見てみた。
そうすると色々と分かったことがある。
我輩の詩は確かに厨二色は強めだが、他も厨二はいること。
その次には恋に悩んでそう(というか夢見てそう)な青春詩が多いこと。
さらに、文集のページの至る箇所に…
このように、バカみたいに落書きされていること。
思えば我輩は自制心ゼロで無意識にあちこちに落書きをするヤツだった。大体そういうときは気が散っているというか、周りの状況に興味が無いわけだが、これだけ落書きしていればさぞかし暇だったのだろう。それで色々忘れているのかと納得できた。
にしても酷いよ(質問がという落書きがある割に酷い質問をされた記憶が無いのだが、我輩の詩の前のページに書かれていたので、そのページ内に詩が掲載されている作者の誰かが酷い質問をされていたのだろうか。全然記憶がない。
とまあ、クソどうでもいいような思い出話であった。
何でこんな話を書こうと思ったかと言えば、このアホみたいに曖昧な思い出の中で、唯一ハッキリ覚えている、「僕は、そうじゃないと思うんです」というこの少年の言葉を、ふとたまに思い出すことがあるからである。
嫌な思い出として残っているわけでは無い。
別に良かったとも言えない。我輩は生憎ながら否定されることを喜び成長の糧とする性癖は無いのだ。
ただなんとなく、思い出しては、じゃあなんだろうかとまた「???」 が湧いてくる。
そしてまた忘れる。
そんなことを繰り返してしまう理由。恐らく、それは何かが心残りだからであろう。
何か、言いたかったはずなのだ。
でも言えなかったそのことへの、何かしらのわだかまり。
だが言いたかったこと、当時の感情など覚えていない(諸々曖昧すぎる)。
ならば時を経て、現在の我輩の思いを述べてしまえばいい。
そしてこの記憶にひとつ、区切りを付けようじゃないか!
あの日の少年よ。
確かにお前の言ったとおり、そうじゃないのかもしれないな。
我輩も徐々に大人というモノになって、あの頃に思っていたほど、人間は悲観すべき存在でも無ければ浪漫があるものでも無いということが、わかってしまった。
そうだ。そこにあるのは、たしかに穴では無い。
穴の絵なのだ(海外アーティスト作のトリックアート)。
我々はその正体には一生かけても気づけないことだろう。いや、深読みしたそれに正体もクソも無いのかもしれない。
そうだ、人間とは…
穴の絵に怒ったり騒いだり気が狂ったり歓喜したりする、そんな喜劇なのだ(そして多分、世界の神は三谷幸喜)*5。
*1:濃度について詳しくはこの記事を読んでくれ→濃度の高い黒歴史を思い出すと呼吸困難になる話 - ボロボロ皇帝のボロ切れと塊
*2:実は結構ダメージを受けているのか…?
*3:テキスト情報が検索エンジンに残って、"万が一当時のこの文集的なのが手元にある人間の目に止まったら"というのが怖い
*4:写真の、我輩の詩のタイトルの上にある12が掲載順である。ちなみに何のために12をシャーペンでぐるぐるしたのか、恐らく、順番が来たときにパニクって目がとっちらかた時のための目印だろう、と思ったら他校生の詩にも複数丸されていた。一体なんのつもりだったんだ…。
*5:更にもしかしたら、我輩には穴と見えてるだけで実は花の絵かもしれない。で、結局なんやねんってのがきっと世界だ。