今週のお題「〇〇からの卒業」を見てどうしても言いたかった。というか言わせる気満々だとしか思えない。
どう考えても正面から見ても斜めから見てもこの支配からの卒業である。
ようこそ諸君、我輩はボロボロ皇帝。
我輩は高卒学歴コンプを背負っている。
つまり高卒である。
なので支配に支配を重ねていない。
※支配に支配を重ねる とは:高校卒業という支配からの解放を味わった後に、あえて進学することでさらなる支配に身を委ねるマゾ行為のこと(類似表現:志望大学に合格する)。
行儀よく真面目にしていた我輩だし、夜の校舎窓ガラス壊してまわらなかったが、精神的には逆らい続けていたし、あの日を思うにあの支配からの卒業は尾崎レベルで感じていただろう。
学校がクソほど大嫌いだった高校時代
我輩は学校という場所のことが、小中高通して、というかなんなら幼稚園時代から嫌いであった。
幼稚園も行かねばならないと言われたから行ったし、保育園行くかと親から訊ねられた時には拒絶していたようなガキである(姉は真逆だった模様)。
つまり先天性のコミュ障だ。
とくに小学生の頃は嫌な思い出が多いが、思い出そうとしてたら吐き気を催したのでとりあえずそこには蓋をしておこう。
中学の頃、今でも付き合いのある友人M氏と出会って、友人関係は比較的良かったように思うが、そこは普通の市立中学校。クラスも多く、クラス分けでバラバラになることも当然の出来事であるし、そもそも学校と友人というそれは我輩の中で全くの別ものであるので、なんと言うか、学校そのものはクソ程嫌いで楽しくなかった。
この頃は別にイジメられていたとか、そういうわけではなかった。ただいろんなことを、様子見のように伺っていた。それが嫌だった(し、伺ったとて無理して会話をするというほどでもなかったので色々無駄だった)。
例えば、学校で嫌だったことワースト1位をとると思われるほど、もはやあるあるレベルなグループ分けなんかは我輩も例に漏れなく「地獄だった」と言える。
仲の良いやつらが瞬時にかたまった後に、余った者どもが様子見しながら寄り集まったグループは、それはそれはしんどい。グループに入れるかという恐怖のあとの、じわじわと来る疲労。グループ内でいかに澄ました顔で、え、何でもありませんけど?普通に楽しめてますけど?風に過ごせるかという周囲の視線(見てたか知らんけど)との戦い。我輩はその中にいた。
中でも覚えているのは修学旅行の班分けだ。この時も余り物同士が集まったような状況であった。まだマシだったのは、一応は話しかけることができる程度のメンバーだったということだろうか*1。そんな彼らと適当に会話をする。普通に、というか普通を装って、かもしれない。とにかくボロを出さないように。精神が疲弊する、というか摩耗する。擦り切れていく。もちろん楽しくはない。楽しめるはずはない。会話も、何もかも。
とまあそんなわけだから、修学旅行も行けばきっと苦痛を味わうと確信し、ちゃっかり休んだ。
勉学は義務である。そのための毎日登校出席も義務である。それらが内申へと影響するというルールなのだから仕方のないことである。道を狭めたくはない。ならば行くしか無い。いずれはこのチャラついた奴らを見返すため!!!そう思っていた我輩は、どんなに嫌でも学校には行っていたし、ほぼ皆勤野郎だった*2。
だがなんでわざわざ娯楽であるはずの旅行でまで疲れに行かなければならないのか。それは義務ではない。
そう思ってのあの時の判断は今でも正しかったと思っている。つまり行かなくてマジでよかったということだ。
※今思い出したが、我輩は中学の卒業アルバムも買わなかった。修学旅行の写真が大半だろうに行かなかった奴が買ってもほぼ意味がないと感じたためか、単純に学校嫌いすぎてそんな最悪の思い出不要と思ったか、その両方の理由だったかは覚えていないが、確かに買わなかった。当時、親に後悔するんじゃないかと言われたが、今思い出したほどのどうでもよさなのでこれに関しても後悔は無いと言える。
高校入試をしたくなかった我輩は絶対通ると思えた高校に推薦で入学。同じ高校に前述の友人M氏も入学。
そこでも学科は同じなのにひたすら友人とは違うクラスという状況で、学校生活の大半は苦痛であった。学校=苦というほどである。
ちなみに文化系の部活に入った我輩は、部活動自体は楽しめていた*3。
だが、先に述べたこととやや内容が被るが、
我輩にとって学校と友人、もしくは、学校と部活動は別物であり、部活が楽しめたから学校も楽しかったとは一切思えず、友人と昼時間には飯食えたからに関しても然り、それらが学校タノシカッタ(^o^)に結びつくこと絶対にありえないのだ。
確かにその限定的な時間こそ楽しめてはいても、それは学校時間の9割を占める授業〜休憩〜授業〜といったこれらの苦痛には敵わない。それ以上にこれらの苦が上回りすぎて、総じて最悪だったとしか言えないのだ。
その9割近くを占める時間が苦たる所以。
それは、
誰ひとり馬の合うような人物がいないクラス内で、どうにかやっていかなくてはいけないという地獄の緊張にある。
思えば入学初日という滑ったら終わるらしい日で、人間関係において重大なミスをしたと言える出来事がある。
声をかけ、仲良くしてくれそうな人物の誘いを断った。
これだけだが、これは結構まずかったかもしれない。
我輩は別に行きたくねーわ(^o^)と思ったら断る人間である。もちろん普通にやんわり断る。だがそのことはコイツ誘っても意味ないな、付き合い悪ぃな、つまらんなと思われる要因でもある。つまり人間関係の断絶を意味するのだ(社会人においてはこの精神も役立つ、面倒なことに誘われなくなるので)。
あの時誘ってくれた人物は人がよさそうであったな、と我輩は思う。恐らく仲良くしていれば無難に過ごせただろう。だが今あの頃に戻っても…我輩は断るかもしれない。
理由:一緒にいても楽しく無さそうだから。
ジャンルが違う。
種族が違う。
文化が違う。
そんな感じの人物である。
つまり陰と陽。
陰と陽はそもそもの会話が噛み合わない。どちらかが気を遣うだけである。我輩はそこまでしたくない。無理なのだ。学校に行くだけで偉いじゃないか、何でそんな部分にまで気を遣わなくてはならない。それはある種の脆いプライドのようなものでもあった。
陽キャに屈するものか!!!!
最悪なことに我輩が放り込まれたクラスは我輩以外全員陽。
言ってしまえば、
我輩だけ言語違うみたいな、
全く通ずる部分の無い集団の中にいるような、
毎日狼狽えるみたいな(でも舐められないようポーカーフェイスを頑張りながら)、
とにかく精神的にキツすぎる環境である。
そんなクラスの中に唯一、中学が同じだったことである程度話はする知人以上友人ギリ未満な人が1人はいたため、その人物を通じて、一応グループらしきものに属してんだか属してないんだかみたいな状況であった我輩。だが、教師の鬼畜スキル二人一組が発動したときなど、いざとなったら切り捨てられるような立ち位置だったことは確かである。
そのことからぼっち時間も幾度と無く味わった(ツラすぎてかわからんがもうあんまり記憶はない)。
ただ、そのグループと行動を共にしていた時間は安心できたかと言われれば別にそうでもなく、明らかに我輩は浮いていたし、楽しく話せたことは何一つ無かったし、精神的に張り詰めたような息が詰まる嫌な感覚を常に味わっていたので、楽に呼吸が出来ずそれもそれでキツかった(本当に楽しい瞬間、会話が無かった、心底合わなかったと言える)。どっちに転んでも地獄、早く時間が過ぎることだけを願っていた。
そして卒業したときのことばかりを考えていた。
絶対コイツらより良い位置に行ってやらぁ!
後悔しやがれ、テメェら今楽しんでること、この先で後悔しやがれ!!!
そんなことを多分ほぼ毎日思っていただろう。
この異様な闘争心だけが我輩の原動力であった。
目の前は地獄である。
だがこの地獄的環境には絶対に終わりがくるというのも知っている。
ということは、このつまらん彼らと我輩の関係もその瞬間、終わるのだ。ならば、今ここでどうでも良い奴等にわざわざ懸命に気を遣って関係を構築したくない!!!嫌だ!!無駄!!!楽しくない!!!つまらん!!!何言ってんだテメーら!!!相変わらず馬鹿そうだな!!バーカ!!!!!
といった感じで心の中で悪態をつきながら、地獄の先を見続けていたのだ。まあおかげで毎日学校にも行けたと言える。
本当にあの日々には戻りたくない。
あの支配からの卒業後。
我輩は社会人となった。
面接という大人たちからの品定めを経て入社し、その後の同期研修はまるで学校生活の延長線上のようで最悪でしか無かったが(案の定同期に仲のいいやつはいない*4 )、研修期間を終えた後の、仕事そのものは我輩にとって天国であった。
入社一年目なんかは特に、驚くほど毎日が楽しかった。
なんだこれ最高じゃん(^o^)
(学校という)無駄な場所に行かなくていい(^o^)
動いた分だけ給料もらえる(^o^)
先輩も上司もみんな優しい*5(^o^)
接客できる(^o^)一対一の初対面って素晴らしい(^o^)
社会人の会話楽しい(^o^)
そしてあの頃から同じ会社で、7年、いやもうほぼ8年経過しているのだが、
仕事で、
どんなにツライことがあっても、
どんなに仕事辞めたくなっても、
どんなに嫌な奴がいても、
あの学校生活を思い出せばまだまだイケる、こんなの序の口だと思えるのである。
徐々に白んでいく空に泣きたくなるような(というか泣いた)日々も今では遠い彼方だ*6。
戻れない日々、最高じゃないか。戻りたい過去など無いのだから。
生きてきてこれまでで最高な瞬間は今だ!!とすら言える。
ちなみに我輩は、学校へ行く本当の理由を、
忍耐力を鍛えるためだと思っている。
我輩が成功例だ。学校で学んだことなど1mmくらいしか役立っていないが、あの忍耐の日々は確かに今の己の形成に少なからず役立ったと言えよう*7。
だから己の限界値ギリギリで耐えながら過ごした日々に、我輩は後悔がない*8。
過去の我輩と同じような、まだ若き諸君がいれば。
鬱屈した精神をバネにしろとは言わない。そんな跳ねるような力など無いだろう。
ただその内に燻るソレ(我輩の場合憎悪に近かったが)を原動力とするのはありではなかろうかと、伝えたい。我輩は、そうした、というよりそうするしか保つ術が無かったのだが*9。
その支配から卒業できる日は来る。
青春が大事だ?今を楽しめ?陽キャは黙ってろ!!!テメェらが泣いてる頃に笑ってやる、せめてもの過去に縋れるようせいぜい"今"を遊び呆けてろ!そう言ってやれ(心の内でな)。
支配から卒業した暁には、大抵のことを楽しめるようになれるぞ(幸福のハードル低すぎて)。つまり楽しいことがいっぱいなのだ。
余談だが、
2,3年前に、今があるということを、いやぁ頑張った!と噛みしめながら、そういやアホな奴等はどうなりましたかな(^o^)?と思いつつFacebook*10で同級生を検索してみると、やっぱりほとんどの者が思った通りの状況になっていて愉快だった(最低だクソだと蔑まれたっていい、我輩はこういうのが趣味だ。嫌いだった奴が落ちぶれていくとなおよし)。大体人生つまらなくなるとFacebookの更新もしなくなるんだなというのがその時分かった(成功者で充実してそうな奴と、なんか凄いこと*11やってる英才教育受けてた子は更新続いていた)。
更に余談だが、最近、たまたま大型スーパーに行ったらそこで働いていたらしい、当時の「知人以上友人ギリ未満」な人物と久しぶりに会った(今は連絡先も知らぬので完全にただの知人である)。
一応それなりに話はして、その流れで、当時の共に行動してた(んだかしてなかったんだかわからんような)メンバーと連絡を取ってるかと訊かれ、いや取ってるわけなくね?と思いながら「いやぁ…友達じゃなかったからなぁ」とそのまま思ったことを言えば「そんな事言うなwww」と言われた(「あの時は一緒に行動して頂きまして」と返せる程度には冗談も言えるようになった)。
別れ際にLINEを交換しようと言われ、交換したが、我輩はその人を随分前にブロックしてしまっていたらしい。LINEのお節介機能【友だちへの追加を許可】をオフにする前に、上がってきてしまったヤツら全員ブロックしていたので、恐らくそこに入ってのだろう。
若干申し訳ない気持ちになったが、交換したとて友人ともほぼLINEをしない人間なので意味もなかっただろうし、それどころか冷めたような気持ちにさせていた可能性を思うと、久々に会い顔を見て話したあれが最後の思い出になりむしろ良かったと感じている。
とまあ、ここまで付き合ってくれた諸君がいるかは謎だが、もしいれば、長々とした回顧に付き合ってくれてありがとう。これで我輩の【卒業】の話は終わりである。
にしても、
行儀よく真面目にしながら不真面目な奴等を心の内で馬鹿にしつつ卒業した我輩が、あの頃を思いながら、行儀よく真面目なんか出来やしなかった尾崎に共感を覚えるというのは、なんとも皮肉なものだな。
*1:余り物同士が余る度に顔を合わせていればさすがに話せるようにはなっていく、ということだろうか。だがやはり気は合わないのでそれ以上の仲になることはない。人とはなんとも難しい生き物である。
*2:修学旅行以外で休んだ日があったか思い出せない、イベント事なら休んだかもしれないが覚えていない。
*3:ほぼ部活動はしておらず、年に1、2回大会的なあれでまともに動いていた。今も若干交流があるもう1人の友人K氏とは高校で部活を通して知り合った(違う学科であった)。毎日部活じゃない部活をしていたのは確かにいい思い出ではあるが学校はクソだった。
*4:ただし、さすがに同部署唯一の同期とはようやく普通に話すほどにはなった。3,4年一緒に同じ仕事してりゃあ冗談混じりの会話もできるようになるっつうか(逆にそれくらいみっちり接してないと適当にでも打ち解ける事が不可なのは、陰キャ体質故だが)。
*5:嫌な奴もいたが学校生活の比じゃない。普通に耐えられる。
*6:5時半ぐらいにハッと目を覚ましてしまったときが何よりも最悪だった。
*7:※ちなみに忍耐力は社会人において非常に重要である。特に金だ。忍耐がなくてヤミ金に手を出したり、会社の金に手を出すような不正起こして辞職したり、いるんだぞマジで。そうでなくても廃課金者になるとか、グッズ買いあさりすぎて貯蓄無いとかな。忍耐のない奴らは生き様が怖いぞ(ある意味楽しそうでもあるが)。
*8:だが虐めを受けているなど生きる気力に関わる場合においては行かなくていいと思っている。我輩のチャラついた奴等への憤怒は生存力の証だったとも言える。生存の気力無くして、苦痛の終わりとその先の未来を見ることはできないし、最も人間の命をすり減らすのは恐怖であるから、イジメはまさしく命を奪うそれである。だから断つという手段があっていい。撤退に良し悪しはないが、己を保つためにということを前提に考えればその傷ついた心身を回復させねばならないし、撤退は回復への最も適切な手段だと思うのだ。
*9:そうするしか無かったと言えど、そのひねくれ捻れた感情を持つことを悪ではないと我輩は思っていたし、むしろ当然だと、何が悪いんだと、己のクソ的な部分を認めていた。悲観もなければもちろん良心の呵責もない(まあ好きでもない奴等相手の感情であるから良心の呵責がある方がおかしいのだが)。それくらいで丁度いいのだ。
*10:我輩は元々やってないしFacebookはやりたくもないので適当な名前で番号無でアカウント作成した。今は番号無しでくぐり抜けるの対策されているんだろうか?
*11:貧困国で子ども達への教育に携わっていた。凄すぎて感動を覚えた瞬間、己を省みて危うく生き方を改めそうになったが、そんなことは今度にしようと寸でのところでとどまった。