クソみたいなタイトルですまん。
5つのこととか、死ぬまでにしたそうな量産型タイトルを避けようとした結果こうなった。
※死ぬまでにしたい10のことっつう映画があっただろ、あれの公開後からこういう個数系が増えた気がする(気のせいかもしれんが)。
ちなみにこの記事でいくつのことが挙がるかは未知である。1つかもしれぬし2つかもしれぬし…。
ようこそ諸君。我輩はボロボロ皇帝。
そういえば、我輩のブログ内のアイコンが、息しているのを見てくれたか!?
見てくれよ、絶対に、絶対にだ…(見てほしい)。
我輩はブログを、もうなんなら10年ぐらい前からやろうと思っていた(中学高校ぐらいの頃から)。
その頃はネット回線も引いていなかったし、今では考えられないネット無しの生活を送っていたのだが、それなりに楽しんではいた(中古でPS2の安いゲームをしょっちゅう買ってはずっとプレイしているような青春時代であった…)。
なぜネット環境無しでありながらブログを書くことに思いを馳せていたかと言うと……まあ今、色々過去の気持ちを思い返したり考えたりしたが、いちいち飾り立てるのも面倒くさい(カッコいい理由考えるのが面倒になっただけ)。結局の所、自分語り大好き人間だからだ、というのが一番ぴったりである。
現実では大人しくしているので、いつか溜まったそれを、相応しい場所にたくさん吐き出すのだ!と考えいたのであろう。
で、そこから何故10年も経ったかと言えば、
なんだろうな、差し迫った何かもなく(そりゃ差し迫るわけ無いんだが)、いつかやろうぐらいの気持ちでいたらそうなっていたと言うべきか…。
始めた理由については、2月に訪れた怒りの衝動というか勢いである(Twitter運用術への怒りを無性にすぐさま吐露したくなったのだ。その記事がこれである→【Twitter】前向きにつぶやけって言うなあああ!!【非運用術】 - ボロボロ皇帝のボロ切れと塊)。
その勢いのまま最初にnoteを始めたのだが、noteのブログ寄りのSNS感があまり性に合わず、数日経過した2/9に、ここへと移行してきて今に至る。
そして移行してきた日である2/9から毎日投稿しているが(吐きたいので吐いているだけ)、今が最も落ち着いている。
これだよこれ!という気持ちである。
一体ブログの何が良いか。
ズバリ、
・SNSと違うところである。
何だかよくわからんと思うので、説明しよう。
SNSは例えるなら人混みだ。
我輩は人混みが苦手である。
例えばTwitter、あれは言ってしまえばパリピだらけの人混みである(現実世界で陰キャか陽キャかDQNかなどはどうでもいい、あくまでネット上の話)。
あっちらこっちらで会話が飛び交い、おすすめのツイートとかいうお節介機能で話題の中心人物を見せつけられる。ものすごく騒がしい。
InstagramはTwitterよりも表向きというか建前というか、そういった表面上の品は良いのだが、Twitter以上にガメつい系の奴がうようよしている意識高い系の人混みである(海外ユーザーもそんな感じだ)。
※ちなみにInstagramは活発性とガッツと図々しささえあればフォロワーはTwitterより増やしやすいと思われる(あと人気投稿には比較的上がりやすい)。我輩にはこれら何も無くハッシュタグの付け方が面倒だったりとアプリのUIも合わずでただ地獄でしか無かったが、一ヶ月投稿し完走すると決め込んでいたので(もう二度とやりたくならないように肉体に叩き込むため)、一ヶ月だけは使った。やめた瞬間の解放感は最高であった。
そんな苦手な人混みのなか、我輩は自分もイケると、というかこの場所しか無いと思い込み、1人でキョドっていたわけだ。
アホである。
対してブログは集合住宅のようなものだ(bloggerは戸建て、WordPressは超郊外で隣家がない、つまり立地条件は悪いが自家用ヘリ持てる高級住宅)。
集合住宅内の各部屋にはひとりひとり住人がいる。
基本的に住人が在宅か不在かどうかはわからない。
わからないがそのドアを入り覗き見ると、確かに感じる、生活の匂い、跡、そこにいた人の証。
その空間の流れはそれぞれである。
心地のよい空間を選んでコソッと入ることができるのだ。コソッと入ってちょこっとなんか置いていくこともできる。気持ちはまるでストーカー。
そう、このようにそれぞれの部屋があるわけだから、
自分のスペースももちろん、十分に確保することができるのだ。
何にも惑わされず、
自分の事だけに集中し、
生活できる。
しかも、我輩は性癖がアレなので誰かに見られたことがわかると軽く興奮する。我が館に足を踏み入れたか…みたいな気持ちになる(引かれることは覚悟の上で書いている。興奮してる癖にしてないなんて、そんな嘘はつけぬからな)。
こういったSNSとは違う全てが、我輩にとって理想の環境であった。
また、この事がもたらした更に良かったこと。
若干この記事と↓
被る部分でもあるが、やはり、
・SNSをほぼ見なくなった
このことはデカイ。
ほぼ見なくなった、という部分の頻度についてだが、
週いちでTwitterアプリを開くか開かないか程度である。
なぜたまに開くかというのは、メモ代わりに記事をシェア(という言葉だけで自分で後から見返したりするブックマークみたいなものであるがあまり見返さない愚行を)したりするからだ。
だがそれ以外の時間は脳内からTwitterが消え去っている、つまり存在を意識することなく、すっかり忘れてしまっているので気づけば見ることが無くなった、というような状態である。
なぜなら、
空いてる時間はだいたい記事書いているから(^o^)
である。
そもそもの腹の中で渦巻く苦痛的負の根源がコイツ(Twitter)であったので、マジでブログには感謝している。
まあ、アル中患者が断酒に成功したみたいな感じだな。
というか全く有意義に使えていないのに高頻度でTwitterを開いていたのも意味がわからんのだが、これぞ依存である。恐ろしい。何してたんだ我輩は…。
※ちなみに通知設定をデフォルトから変更しておらず、鬱陶しいほどにおすすめツイートが通知されていたのでこれもオフにした。完全ストレスフリーである。だがフォローしているバンドのおすすめツイートがこなくなったのはちょこっと寂しい(どうせYoutubeから視聴するので影響はさほど無いが)。
ここまで書いていて思ったが、ある意味今はブログ依存症になってるのか?
まあでも気持ちは落ち着いているし精神的にも悪影響無くやれているからよしであろう。視界に余計なモノが入ってこないので思考・集中が途切れないのも、一つのことに関してドバッと吐き出してすっきりしながら整理でき(ているような気持ちになれ)るのもよい。
とまあ良かったことはこの2点であるな。
タイトルが大仰な感じなのに結局2点で止まってしまった…。
だが個人的には100ぐらい挙げた気持ちになっているほど、この2点は我輩にとって、己が生きやすくなる上での重要な役割を果たしている。
総じて、精神的無駄な疲弊が無くなったのは素晴らしいと言えよう。
まだ始めて一ヶ月だが、今後も続けていくつもりである。
なんたって今後はもっと興奮できるような気がするのでな。