義理だか本命だか友だかなんだか。
チョコチョコチョコチョコ
チョコチョコチョコチョコ
(う○こみたいな文字色になったが許してくれ)
はじめまして、我輩はボロボロ皇帝。
世の中チョコに溢れかえっている時期だ。
と思ったら時期とかじゃなくてそれ今日、今、バレンタインデー当日だった。
今気がついた我輩、そんな我輩はこのようにバレンタインデーなチョコとは縁がない。
別に縁など無くていい。
我社は負の連鎖を断ち切れたのだ!!!!!
あげたくも貰いたくもないそのチョコ。
それは義理では無い。それ以下、それよりもはるか面倒な「苦」で互いを縛り付けるもの。
その名も、義務チョコ。
確か、昨年だったか。
一人の者が言った。
「もう、終わりにしよう…」
そう、その言葉を待っていた我々。いやずっとそう言いたかったはずなのに、なぜたったひと言のそれが言えなかったのか。
行事ごとと義務意識
我輩の務めている会社は毎年バレンタインには貰いホワイトデーにはあげる、もらいあげるもらいあげるもらい・・・といったことが続いていた。
それはやらねばならない事。
一体誰が始めたのか、誰が決めたのか、もはやそんなことはわからない。
時期になると各課に集金担当が現れ、各個人が金を出し、異性全員分をまとめて用意する――となるだけまだいい。
問題は一人で用意するパターンだ。
例えば10人の課が、1人分を用意するとなれば負担も無い。
その10人から貰ったとしてお返しに1人が10人分を用意する。
そんなことをしている者がガチでいた。その者は一人ぼっち課、その課内にその者だけ、みんなでやろう♪など言えない。だっていないんだもん、誰もいないんだもん、一人でやるしか無いんだもん!!!!!
この負担、金銭面もだが全員に渡すのってくっっっっっっそ面倒なのだ。やらなくてもわかる、考えるだけで面倒だ。大変だったろうと思うよ本当に…。
ちなみに、我輩は運が良いほうだった、複数人所属の課だし、そういうのに乗り気ゼロ人間というのが課内メンバーに知られていたのと、社員権限か中堅権限かなんだかしらんが誰も我輩に買い出し的なのを頼まなかったし、金さえ出しておけば他メンバーがなんやらやってくれた。いやぁ、ありがたかった(絶対やりたくないからな)。
そんな我輩だが、準備やら集金やらで大変そうにしている方々に己の意見を言ったことがある(つか多分、毎年似たようなこと言ってたかもしれん。自分は準備しないくせに)。
もういいんじゃないですかね…全員分個別準備大変じゃないですか?どうしてもやるってんなら適当に量多いのいくつか買ってきてバサッとカゴかなんかに入れて置いて、各自取れシステムにしたほうがよくないっすか?
そうすると返ってくる答え。
そうなんだけど…そうしたいんだけど…
〇〇さんがちゃんとやった方が良いって…。
そうか…。
そうなのか…。
我輩はその人のことを考える。
別にその人はそれを好き好んでやっているようには見えなかった。
なのにやらねばならないという強迫観念に駆られているようなその状況。
それはまさしく義務なのだ。
誰にともなく押し付けられた義務。
それは負の連鎖が回る分だけ強まる恒例という名の拘束具。
逃げることなど許されぬ、だって去年もやったんだから…。
こんな状態であった我社が去年をきっかけに負の連鎖、すなわち呪いを上手く断ち切れたのは、トップが変わったことか、コロナの影響もあるかもしれない。
常と違うことが訪れた、その影響は結構デカかった。
「もう終わりにしよう」
その誰かが言ったひと言。それは全員の心の叫びだった。
別にやりたくてやってねえ。
なんならもうやりたくねえ。
でもいきなり終わらせるのはちょっとアレだからな。
ということで、去年ようやく我輩の言った方式、各自取れシステムが採用された。
そして今年、バレンタインデー。
皆が忘れたかのように口にする様子もなく、誰一人準備などする様子もなく、今日がやってきた。
これで上手く断ち切れた。
もう3月の負は回ってこないだろう。
今なお、義務でないはずのただのチョコ行事を義務として強いられている諸君へ。
何かしら状況を変えたい時、一応自分の意見を出したほうが良いかもしれない(変わらなくとも)。
そうすると意見の伝播みたいなものが起きて、なにか、「きっかけ」という常と違う異変が発生した時に変化が起きやすいような気がする。
まあ難しい環境もあるだろうが…。
余談だが、heartを見るとhurtを思い出す。スペルが似てるってのもあるしハート(heart)は痛む(hurt)ものだろう?(誰だ!黙ってろ童貞って言ったやつ!)
というわけで我輩の好きな曲、Johnny Cash の Hurtを聞いてくれ。